黒 の 主 〜傭兵団の章二〜





  【10】



 すぐにでも始めそうなクリムゾンに、リオはまた頭を下げた。

「ただ今は弓の練習をしていたので、準備まで少し待っていただけますでしょうか?」
「分かった」

 受け答えの声に感情はないが、こちらに対する敵意は分かる。だがそれでも、セイネリアはこの赤い髪の剣士についてこう言っていた。

『あいつが俺に従ってる限り、いくらお前を嫌っていても本気で潰すようなマネはしないから安心しろ。ただし剣を合わせるなら治癒で治せる程度までの大怪我は覚悟しておけ』

 それなら、強い人間に相手をしてもらうのは逆にチャンスと思うしかない。
 弓の道具一式を置いて、剣帯を腰に戻す。鎖帷子だけは着ているから装備はこのままでいいだろう。クリムゾンが抜いた剣は模造剣ではないから、実践のつもりでという事になる。

「お待たせしました。お願いいたします」

 言えば赤い髪の男は少し広い位置に移動して足場の確認をしていた。リオは彼と一定の距離を取った位置へ行って向かい合うと剣を抜いた。そうすればすぐに相手は、行くぞ、という声と共に腰を落とす。慌ててリオは剣を構えた。

 まずは、速い、とそれだけしか言葉が思い浮かばなかった。

 気づいたらすぐに相手は目の前にいて、咄嗟に剣を前に出すのが精いっぱいだった。どうにか相手の剣を受けられたが、それは『受けた』のではなく相手が剣を叩いてくれただけだと分かっている。やはり実力差は大きいと言うしかない。
 けれども――落ち着け。
 リオは自分に言い聞かせる。最初から向うの方が圧倒的に強いなんて分かっている事だ、向うの方が断然速い、巧さも経験も上、だが――。

「うおぉおっ」

 声を上げて向うがこちらの剣を叩きにきたところを強引に弾き飛ばす。さすがに体毎ふっとばされてはくれなくて一歩後ろへ退いてくれただけだが、それでもこれではっきりした。この人が相手なら純粋な力だけは勝てると。体格からの予想だったが、これで少し戦い方が分かったと思う。
 勿論、赤い髪の男は少しも同様した様子など見せない。
 一度仕切り直す事にしたのかそこから更に2歩程下がり、そうしてまた上体を屈めるとこちらに向かってくる。相変わらず速くて、その攻撃は見るのがやっとで体がついていけない。
 けれどその狙いは分かった。
 相手はこちらを攻撃するというよりまるで横を通り過ぎるようにして腕を斬りつけてきた。分かっていてもリオはそれを避けなかった、避けたら更に大きな隙を作るからだ。代わりにリオは足を思いきり大きく伸ばして蹴りを仕掛けた。向こうも気づいてすぐに飛び退いたが、こちらを斬った直後に剣を引いた分だけそれが遅れた。蹴ったといえる程ではないが足先が彼の体を叩き、また彼はこちらから距離を取った。リオは急いで剣を構えてそちらを向く。今度こそ相手の動きに即反応するために、赤い髪の男をじっと睨む。
 だがそこで、赤い髪と目を持つ剣士は剣を下げた。

「もういい、怪我を治してもらってこい。マスターには言っておく」

 急にやる気がなくなったようにそう言った後、彼は面倒そうに舌打ちをした。

「あ、はい、すみません」

 リオは考える。どうやらクリムゾンはこちらに怪我までさせるつもりはなかったらしい。向うからすれば避けると思ったのを避けられずに怪我をさせたような状況なのだろう。

――これは、この程度の腕なのかと呆れられたかもしれないな。

 だがリオが急いで剣を仕舞って地面に置いていた弓やらをかたずけていれば、クリムゾンは手合わせを止めた場所で立ったまま言ってきた。

「思ったよりは悪くない、だが聞いておきたい事がある」

 恐らく今のは彼としては誉め言葉になるのか、そう考えてしまってから後半の言葉が頭に入ってきて、急いでリオは立ち上がった。

「あ、うぇ、は、はいっ、何でしょうか?」

 赤い瞳でギロリと睨まれて、正直リオは背中で嫌な汗をかいていた。

「お前の腕ではマスターの足手まといにしかならない」

 それにはごくりと唾をのんで、けれどそれは分かっていた事であるから出来るだけ落ち着いた声で返した。

「はい、わかっています」
「ならもし、それであの人の足を引っ張る事になったらどうする気だ」
「そうはさせません」

 赤い瞳がすぅっと細められる。ヘビに睨まれたネズミににでもなったような気分になるが、おそらく彼が期待している答えは分かっている。

「……それは、それだけの覚悟があると思っていいんだろうな?」
「そうです。自分の失敗は自分で責任を取ります」

 それで彼はこちらに興味を失くしたかのように顔を逸らすと剣を仕舞う。
 そうして最後に、一言。

「いいだろう。忘れるな」

 その言葉を残して去って行った。




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