黒 の 主 〜傭兵団の章一〜





  【62】



 窓がないとはいえ、きっちり壁紙が張られて客用ベッドのある部屋は、貴族らしい調度品が揃っていてそれなりに上等な部屋だと言える。ランプ台も小さいがちゃんとあるから暗闇でもない。少なくとも罪人を監禁しておく部屋には見えないが、これでドアが鉄製で確認用の小窓がついていたら貴族用の幽閉場所にはなるかとセウルズは思う。
 自分を閉じ込める獄にしては随分いい部屋じゃないか――と思った時点でセウルズはある可能性を確信していた。

――あの男の事だ、そこまで待たせはしないだろう。

 そう思っていた予想は正解で、さほど待たずに――おそらくまだ朝になっていないだろう時間に――黒い男はやってきた。
 何もない空間に突然現れ、後ろには彼の部下のクーア神官がいる。ならここに監禁されたのも彼が手をまわしせいなのめだろう。黒い男はやはり表情のない顔で、ぞっとする程冷たい琥珀の瞳をこちらに向けた。

「意外そうな顔をしなかったのは褒めてやる」

 自分の半分程度しか生きていないくせに、この男はどこまでも偉そうでこちらを見下してくれる。ただ問題はそれに腹が立たずに自分で自分が彼の下だと認めてしまうところなのだが。

「そうだな、お前がくる事は分かっていた」
「そうか、なら話を聞いてやる。あんたはどうしたい?」

 値踏みするようにそう言われてセウルズはごくりと喉を鳴らす。セウルズの今回の行動は、この男にとって認められる範囲内である筈……そうは思っていても自信はない。なにせセウルズにはこの男が分からないのだから。
 セウルズは深く息を吸うと、黒い男の前に行って跪いた。

「頼む、サウディン様を予定通りこのまま解放して差し上げてはくれないだろうか。あの方がこの領地を出て二度と関わらないよう、俺がずっとお傍について見ている、だから……」
「つまり、サウディンがこの地に害をなさないよう、お前が責任もって面倒を見るからサウディンを自由にしてやって欲しいという訳か?」

 黒い男の声には抑揚がない。おそらくは自分が今いった言葉はこの男にとっては予想内の内容なのだろう。この男に誤魔化しやその場を取り繕うような言葉は通じない、だが覚悟を示して本心の言葉であればこの男は聞いてくれる筈だった。

「そうだ、サウディン様は本来攻撃的な方ではない、若いのに思慮深く、聡明な方だ。お母上に命を狙われたせいで今まで心にためていた負の感情が爆発してしまっただけで、ゼーリエン様を恨んだり復讐を願うような方ではない。よしんばそのような事を多少なりでも考えていらしたとしても、俺が絶対に諭してお止めする。だからどうにか……」

 床につく程頭を下げていたセウルズは、そこで黒い男が鼻で笑ったのに気が付いた。

「なんだ、あの光景を見て、お前は俺がサウディンを殺したほうがいいと判断すると思ったのか」

 セウルズはゆっくりと顔を上げた。相変わらず感情の読めない顔の男は、ただ冷たくこちらを見下ろしていた。

「安心しろ、あれだけでサウディンを危険だと決めつけたりはしない。子は何があっても親を信じて従う訳ではないし、逆に親として信じていたなら尚更、裏切られたら憎しみも湧くだろうよ」
「では……」
「だがまだ解放すると決めた訳じゃない。あの場では時間がなかったからな、これから改めてお前が事情を話して説得しろ、それ次第だ。……とは言っても、少なくともあのガキがあんたの事を慕ってるのは分かった。あんたの言う事なら確かに聞きそうだ」

 セウルズは大きく息を吐き出した。安堵する段階ではないと思っても、とりあえずこの男はまだサウディンを解放する気があるというのは分かった。

「だがその前に、あんたは俺に説明しなくてはならない事があるんじゃないか?」

 いうと黒い男も膝を落として、こちらの顔を近くで見据えてくる。

「何故、わざわざ犯人として捕まった。別に賊が殺した事にしても構わなかっただろ」

 勿論それを聞かれると分かっていた。だから答えは用意してある。

「それは、俺の逃げ場を失くすためだ。ただこのまま行方をくらませば俺を探す人間が出る。そして俺にここへ戻って何らかの役職につけと言い出すだろ。元の場所に戻れると、その可能性をすてるためだ」

 おそらくただ消えただけでは自分を探す者――少なくとも弟子のボーテは必ず自分を必死に探してくれるだろう。かといって事情を話せばついてくると言い出すのも分かっている。だがセウルズは彼にはもう、自分に関わらず好きな道を歩んで欲しかった。

「俺は幽閉された後、自殺した事にすればいい。それなら皆、納得するだろ」
「確かに、あんたを知ってる人間なら不自然には思わないな、だが……」

 黒い男はまたこちらを小馬鹿にするように鼻で笑った。それでも勿論怒りは湧かない。我ながら自分が馬鹿だと分かっているからだ。

「それも『逃げ』じゃないのか?」

 それも言われると分かっていた。だからセウルズも笑った。

「かもな。だがこれは『選択』でもある。この地に対する責任から逃げる代わりにサウディン様に対する責任を選択する。生憎俺は全部の責任を背負いきれる程器用な人間ではなくてな、出来る事だけを選択するので精一杯だ。……これならあんたの約束に対する誓いに反してないだろ?」

 自分でもこの選択がある意味『逃げ』である事を知っている。剣術指南役として、もしくは西軍の元指揮官として、この地をここから立て直すその役目を放棄する。その代わりに一人の少年の未来を見守る、そういう選択だ。……いや、その選択肢しか選べないようにした。その覚悟を……この男なら評価してくれる筈だった。

「……いいだろう。確かに、あのガキに対して最後まで責任を取るという誓い通りではある。だが最後にもう一つ」

 言いながら黒い男は立ち上がる。

「あんたが捕まった後、俺がサウディンを始末し、あんたは捕まったまま放置されて処刑台行き――という事態は考えなかったのか?」

 言いながら向うは手を伸ばしてくる。それを掴んでセウルズは立ち上がると、黒い男の感情のない目を見て笑いかけた。

「ないな。お前は俺が大人しく罪を裁かれて死んで全てから逃げる事を許さないだろ? それに、約束したからには俺が説得する前にあの方を勝手に殺しはしない」

 感情を消した琥珀の瞳が少しだけ細められる。それが彼にとって不快だったのか、それとも好意的に受けとられたのかは判別出来ない。ただ彼は、いくぞ、とだけ言って黒いマントを翻すとこちらに背を向けた。




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