黒 の 主 〜傭兵団の章一〜





  【60】



 苦しさが収まって呼吸が楽に出来るようになって、ぼんやりとした景色の中でサウディンは目の前にいる人物の顔を見て考えた。

――あれ、先生? どうしたのですか?

 剣を習うようになってからずっと、セウルズはサウディンにとって先生だった。母も父も自分を褒めてはプレッシャーばかりかけてくる中、セウルズだけは厳しく自分を叱ってくれた。自分の悪い部分を指摘して、けれどそれでこちらが拗ねれば笑っていつも言ってくれた。

『急がなくてもいいのです、今は出来なくても少しづつ出来るようになっていけばいい、まだ貴方は子供なのですから』

 残念な事に自分も激しい運動を続けられない体であったから弟のようにずっと剣の相手をしてもらう事は出来なかったが、それでも一人でつまらなそうにしていれば必ず声を掛けてくれた。だから運動は苦手であっても、剣の訓練時間は好きだった。

――私はまた、転びでもしたのだろうか。

 意地になって剣を振って呼吸困難になったり、転んで意識が途切れた事が前にもあった。だからまた、自分は何か失敗してしまったのかと思ってサウディンは剣の先生であるアッテラ神官に向けて尋ねた。

「先、生……私、は……」

 だがそれからすぐ、先生の顔がどこか別の場所を見たと思えばその表情が険しくなる。それと同時に赤い血が散って顔にも掛かる。それから耳にヒステリックな女の声が入ってきて、サウディンの頭は急激に動き出した。

「触らないで、私のサウディン様に触らないでっ」

 すべて思い出した。
 すべて理解した。
 目の前に何故セウルズがいるのかは分からないが、母の振り下ろした短剣から彼が庇ってくれたのは分かった。短剣の刃はセウルズの腕に深く刺さっていた。

「母上っ」

 サウディンは叫んだ。起き上がって彼女の首に手を伸ばした。この女がすべて悪い、この女を殺さなくては――それだけが頭の中にあった。
 けれど手は届かない。それどころか急激に遠くなる。
 それはセウルズにベッドへと突き飛ばされたからだった。
 そうして彼は腕の短剣を抜くと、サウディンに背を向けた。

「止めるな」

 彼のその声の後、何が起こったのかは分からない。急激に動いたせいか眩暈がして息が苦しい。だからベッドの上で息を整えていれば、再びセウルズの顔が見えて彼は言った。

「暫くお眠りください」

 赤い石がチカチカと光る。それを見ている内にサウディンは意識をまた手放した。





 廊下が騒がしくなる。
 兵士達の足音がすぐ傍までやってくる。
 そうして壊れたドアを乗り越えて部屋に入ってきた兵士達は見た。ベッドと床に一人づつ赤く染まって倒れている人物と、その間に立っているアッテラ神官を。
 返り血を受け、自分の腕からも血を流している老アッテラ神官――かつてこの地で兵士達の尊敬を集めていた男は言った。

「私が、お二人を殺した」

――そうきたか。

 セイネリアは内心呆れる。
 兵士と共に来た、いかにも地位ある者らしいここの警備責任者の男はそこで即座に兵に命じた。

「その者を捕らえよ」

 すぐさま2人の兵がセウルズを捕まえて部屋の外へと連れて行く。そうすれば残るのは警備責任者の男と2人の兵だけになる。セウルズを連れていった者達の足音が十分遠くなったのを確認すると、警備責任者の男は部屋に向けて声を上げた。

「おい、どういう事かまず説明しろ」

 そこでセイネリアは隠れていた侍女の待機部屋からカリンと共に姿を現した。




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