黒 の 主 〜傭兵団の章一〜





  【55】



 空はどんよりと曇っている、だが雨までは降っていない。以前までは晴れている時の青空の方が好きだったが、今のサウディンはこうして曇っている方が何故かほっとする。
 このところ屋敷の中は静かだった。
 理由は簡単で、心配そうにひそひそ話したり言い合いをしていたような連中はもうここに残っていないからだ。残っているのはゼーリエン軍がやってきたら喜んで迎えるつもりの連中だけだ。ボクルはどうやら残った人間達も罰される事がないようゼーリエン側に話をつけているらしく、使用人や警備兵達も最近は表情が明るい。

 勿論、例外もいる。

「サウディン様……その、ここまで来てしまってはこのままここにとどまっているのは危険かと存じます。となればここは、一度身を隠して……」

 言い辛そうにそう言ってくる母の兄であるサービズの顔を眺めてサウディンはため息をつく。まったく、こんな紛らわしい言い方をせずに、ハッキリ言えばいいのにと思う。

「伯父上は逃げていいですよ」

 だからそう言えば、サービズは一瞬言葉が止まって目を丸くする。

「どうせもう伯父上が指揮すべき軍もいませんし、後は待つか逃げるかですからお好きにしてください」
「その……では、サウディン、様は……」

 伯父は官僚としては優秀なだけあって情で動くタイプの人間ではなかったが、さすがに自分だけが逃げる事に罪悪感はあるようだ。だからその手の心配はをせずさっさと逃げてもらうためにサウディンは笑顔で言い切った。

「私は逃げません」

 勿論これにはいろいろ思惑がある。罪人として追われた場合のリスク、負けて投降した兵への処遇からみる向こうのやり方、そして現在裏切る予定の連中がこちらを守ってくれているという状況からすれば――逃げるよりは大人しく待っていた方がいいとサウディンは判断したのだ。

「ですがこのままですと……ゼーリエン様の軍がやってきてサウディン様は罪人として裁かれる事になります」
「でも、逃げても罪人として追われるだけですから似たようなものでしょう」

 それには反論できなかったのかサービズは言葉に詰まった。サウディンとしてもこの人とは一緒にいた方が危険だと思っていたからさっさと出て行って貰いというのもある。なにせ彼は立場的に罪に問われるのは確定だ、捕まれば殺されなくても重い罰が下るだろう。それから逃れるにはそれに見合うだけの手柄が必要になる――そう考えても不思議はない。

「私は、まだ子供ですから。逃げる伯父上の足手まといになるのは確実ですし、残った場合も処刑までされる可能性は低いでしょう」

 そうすれば彼は、他に兵がいない事もあって深く頭を下げた。

「申し訳ございません」

 その声には安堵がある。彼が今までここに残っていたのはその責任故だろう。それを開放してやったのだ。
 けれど逃げる彼には言っておかなくてはならない事がある。

「ただ、母は残していってください。病弱な母はやはり足手まといになるでしょうし、逃亡生活で更に体を壊す可能性もあります。それに私が母とは離れたくありません」

 サービズにとってそれを断る理由はない。妹を残す罪悪感も、子供が母と離れたくないのだと自分に言い聞かせれば消えるだろう。だから伯父上、どうそお逃げください――と改めて言いながら、母の顔を思い出してサウディンは心の中で呟いた。

――けれど母上、貴女は逃がしません。




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