黒 の 主 〜傭兵団の章一〜 【54】 空き家といってもつい最近まで人が住んでいたらしい家の中はそこまで荒れてはいない。当然だ、この辺りは表通りではなくても人の多い地区でいろいろ便利だった――その頃の記憶と、今の風景を比べるとどうしても胸が痛むのだが。 ――後悔はしていない……つもり、だがな。 自分自身に言い聞かせるように考えて、セウルズは窓の外を眺めた。以前と様変わりした人のいなさにはため息まで出てしまう有様だ。 「別に街が破壊された訳ではありませんし、領主問題が解決すれば人も戻るでしょう」 そう言ってきたのはカリンというあの男の側近らしい若い女だった。最初はあの男の愛人かと思っていたが、身のこなし一つ取ってもただ者ではないのはすぐに分かって即考えを訂正する事になった。おそらく、今の自分では彼女にかすり傷一つつけられない、それくらいの人物だ。 しかも頭の回転もいいらしい――自分の様子から何を考えているのか完全に読まれてしまったのもあって、セウルズはそう思う。 「そうだな。それに、人がいなくなったのも悪い意味だけに考えてはいない」 「はい、何かあった時に巻き込まれる人が少なくて済む訳ですから」 「……このままいけば、無血開城となるのか」 「さぁ、そうなるように主は動いていましたが、おそらく本当の意味での『無血』は無理だろうと主は言っていました。ただ公には『無血』に出来るだろうとも言っていました」 ――まったく、あの男はどこまで分かっているのか。 陣営を変えられない者達は殆ど逃げ出し、ここに残っている官僚達はゼーリエンを迎える準備をして待っているという。サウディン自身は、おそらく負けを認めてあっさり弟に座を譲るだろうとセウルズには分かっている。 けれど、それで済まない人間もいる。 それらを殺さない選択肢も勿論あるが……あの男なら殺すだろう。それが一番後に憂いが残らなくて合理的だ。 セウルズにはあの男がまだ分からなかった。ただ多少ならば分かった事もあった。 「そういえば……貴女は、一番あの男の近くにいる者と思っていいだろうか」 唐突だったろうかと彼女の方を見てみれば、丁度こちらを向いた黒い瞳と目が合う。 「はい、そうです」 「なら、あの男の事を一番よく知っているのも貴女だと思っていいだろうか」 だがそれには、それまであの男のように無表情を保っていた彼女が少し苦笑した。 「そうでありたい、と思っています」 声は少し悲しそうで、それで彼女の心情がセウルズには予想出来た。つまり――あの男を理解しようと努力しているが、分からない事も多いという事なのだろう。 「そもそもあの男を完全に理解するのは無理なのかもしれない、と私は思うのだが」 「えぇ、そうかもしれません」 それに初めて、彼女は笑った。だからセウルズも笑う。 「だが間違いなく、あの男が一番信頼している人間は貴女だろう。私がボーテを信頼しているようにね」 ウインクして見せれば、彼女はクスクスと笑った後で申し訳なさそうな顔をした。 「やはり、お弟子の方がいないと不便でしょうか?」 それに急いでセウルズは笑って手を振って否定した。 実はセウルズがセイネリアについて領都に行くことが決まった後、ボーテがなら自分も行くと言い出して揉めたのだ。結局セイネリアとセウルズ両方が却下したことで彼も諦めてはくれたのだが、ボーテの捨てられた犬のような顔を思い出すと心が痛む。 「あぁいや、そういう訳ではない。そもそもあの男だけではなく、私がここにあいつを連れて来たくなかったんだ」 「一番信頼しているのに、ですか?」 彼女が驚きと不安を黒い瞳に映して聞いてくる。 「あぁ……だからこそ、来てほしくなかった」 これから自分が取る行動は、彼を失望させるか、あるいは彼を怒らせるか――その可能性がある。どんな結果になっても後悔はしないつもりでも、自分を慕ってついてきてくれた彼を悲しませる事だけは辛かった。 --------------------------------------------- |