黒 の 主 〜傭兵団の章一〜





  【41】



 ゼーリエンはそれに少し顔を顰めた後、視線を下に落として答えた。

「……勿論、私の方が兄上より領主にふさわしいとか優秀だなんて思っていません」

 それでも何か思い切れたのか、少年はぐっと手を握りしめて顔を上げるとセイネリアの顔をちゃんと見てからその先を続けた。

「ただ私には母上がいますし、伯父や叔父、お爺様もいます。母上は私に期待をしてますがし過ぎていません。まだ子供だと思っているので、頑張ってもだめだと思ったら私を頼りなさいと言ってくれます。叔父も伯父もお爺様も、怒鳴って喧嘩をしていても仲は良くて……なんというか、私の方が気楽にやれて、どうにかなるんじゃないかと思うんです。いや勿論足りないところは今はとても多いので、それはこれからいろいろどうにかします。少なくとも兄上の出来る事は全部出来るようにしないと領主になる資格はないと思っています」

 その言葉が言い終わると同時に、セイネリアは笑った。
 声を上げて笑っていたからか、ゼーリエンは困惑して不安そうにしていたが、セイネリアの機嫌が悪そうには見えなかったのもあって、彼の顔は次第に不安というより安堵に変わっていく。
 ひとしきり笑った後で、セイネリアは今度は口元だけに笑みを浮かべて少年に言う。

「お前の覚悟は分かった。なら今言った通り、お前は兄より優秀だと言われるくらいになるしかないな」
「あ、はい、そうなるようにします。……それで……もし私が領主になれたら、兄上が出来るだけ……罪人扱いなどではなく、自由に、好きな事を出来るようになれば、と……そうできませんか?」

 二人共にセウルズに剣を習っていたというから、兄弟仲が悪いという事はなさそうだとは思っていた。あのクソ堅物が師匠ならいがみあう事など許さないだろうから。ただここまでちゃんと『兄弟』らしかったとはセイネリアも想定外だった。サウディンがどう思っているかにもよるが、安易に殺す選択はしない方がよいかとは思う。

「それ以上はお前の考える事ではない。ただ、出来るだけお前が思うようにはしてやる。勿論絶対とまでは約束できないが」
「ですが、貴方の力が及ぶ限りは兄上が助かるよう動いてくれると、それを約束してもらえますか?」

 しっかりこちらの顔を見て言ってきた少年の瞳は、本気で兄を心配していた。

「分かった、約束しよう」

 言えば少年の顔がぱっと明るくなる。
 それに思わず苦笑してしまってから、セイネリアは言った。

「お前が目標を忘れず努力すれば、お前の望みは叶うだろうよ」
「そう……なればいいのですが」

 自信がなさそうに笑う少年の顔は、年相応の顔に見えた。人前で大人っぽく振る舞っていてもまだ子供なのは見ればわかる。ただ本人にその自覚があるらしいのがいいところだろう。

「一つ聞く、お前はお前の母親をどう思っている?」

 聞くと不安そうだった少年の顔が明るい笑みを浮かべる。それだけで返事は聞かなくても分かるようなものだったが、ゼーリエンは誇らしげに答えた。

「母上の事は尊敬しています。強くて決断力があって……たまに強引過ぎたり頑固だったりしますが、自信があって頼もしくて……そして優しいです。母上をがっかりさせないためにも私はいい領主になりたいと思っています」

――母親、か。

 メイゼリンは少々男勝りが過ぎるがいい母親なのだろう。というかゼーリエンにとってメイゼリンはおそらく母親であって父親でもあるのだ。こういうのがいい親子関係なのだろうと思って――セイネリアは頭の片隅に浮かんだ赤毛の女の姿に自嘲の笑みを浮かべた。

――強い母親と弱い母親の違いだな。






 千里眼持ちとして、天幕の中でのんびりしてても見張りが出来るエデンスは、西軍との戦闘が終わって以後は、基本的に団員用の天幕にいてごろごろしているだけだった。他の団員達は暇があれば外で鍛錬中で、術者枠のリパ神官も怪我人が出た場合に備えてそれにつきあっている。だから今は本当に一人だ。

――さて、この嫌な違和感はなんだろうな。

 団に呼ばれてセイネリアと再会してから、エデンスは彼に違和感を感じていた。空気感でいえば人が変わった……と言えるくらい違うのだが、中身は別に変わっていないとは思える。
 化け物的に馬鹿強いのは当然、冷静冷徹なのは分かっていたし、情を排除して計算で動ける人間だとも承知している。ただ前はもう少し――あえて言うなら人間味を感じたんだが、と思ってしまう。
 そこで彼はカリンがもう一つの天幕から出てきたのを『見て』、少し考えたあと転送の術を唱えた。

「よー、嬢さんお疲れっと」

 唐突に表れた割に身構えただけで驚きを見せない彼女は、エデンスだと分かった途端にため息をついた。

「どうしたんです?」
「いやー……ちょっと久しぶりにデートのお誘いでも」
「偵察の命は受けていませんが」
「ま、それでもいいんじゃないかね? どーせ待機中だ」

 そうすれば彼女もこちらの意図が分かったのか、わかりました、と言ってきたのでエデンスは令嬢の手を取るように恭しく手を伸ばした。黒髪の彼女はそれにゆるく微笑んで手を置いた。

 ――と、そうしてやってきたのは近くの森の中でいい感じに座れそうな切り株があるところだった訳で。
 エデンスが背伸びをしてから切り株に座ると、カリンも仕方ないというように別の切り株に座ってくれた。

「それで、なんの話でしょう?」
「んーそうだなぁ、まぁ……」

 無精ひげの残る顎を人差し指で掻いて、それからエデンスは聞いてみた。

「あんたのご主人様ってか我らがマスターだがな、あん時の仕事のあと別れてからこうして俺がくるまでの間でな、大きくあの男が変わるような何かがあったか?」

 途端、あの男の一番傍にいて一番彼をよく知っている女は表情を硬くした。





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