黒 の 主 〜傭兵団の章一〜 【9】 言い切ってからエルはちらとカリンを見る。心なしか彼女はほっとした顔をしていた。 そして正面には当然ながら、感情のまったく読めない男の顔がある。別に怒っている訳ではないというのは分かるが、長い付き合いのエルでも彼を真っ向から見るのはちょっと肝が冷える……が、勢いのまま声を上げた。 「入ってきたばっかのリパ神官がいたろ、治癒役として連れていきゃ俺がいなくても問題ねぇ。それに雇い主が貴族様で現在内戦中ってンなら、向うにも治癒や強化出来る奴くらいいるだろうよ」 言い切ってもセイネリアは無言でこちらを見てくるだけだった。慣れてるエルじゃなければこの無言の圧力で震えあがる事必至だろう。この男は何があっても冷静で、ちゃんと理屈が通ってる事ならたとえ反対意見だろうと文句だろうとちゃんと聞く、怒って何か危害を加えてきたりはしない――それが分かっているから睨み返せる。 カリンがどうしても今回の仕事についていきたい理由を、エルは分かっていた。単純に、セイネリアの様子が心配なのだろう。 傭兵団は無事立ち上がって軌道に乗りはしたものの、セイネリアは何かおかしくなった。もとから冷静で感情を見せる男ではなかったが、まったく表情がなくなった。エルでさえ話しかけるのを躊躇するくらい、壁というか、近寄りがたい空気がある。最初は組織を作ってその上に立つにあたって、彼もそういうのにふさわしい振る舞いをしているんだろうな程度に思っていた。下から怖がられるくらいが丁度良いとも言っていたし、そのためだろうくらいに考えていた。 けれどそれなら、こうしてカリンやエルしかいない時にまで態度を変える必要はない。実際彼はエルとカリンにはいつも通りの態度でいいと言ってきている、だから団内の規律のためにとかそういう理由ではないのは確かだ。 別人みたいに何かあった、という程でもない。 こういうエルでさえぞっとするような言動は前からも彼はたまに見せていた。ただそれはいつも交渉だとか、『そういう態度を取る必要がある』時で、エルにはその後で本音を漏らす事も良くあった。だが今はそれもない。 エルでさえそう思っているのだから、カリンはもっと早くに気づいて心配しているのは確実だ。情報屋の仕事を殆ど下に任せてセイネリアの傍にいるのもそのせいだろう。セイネリアが仕事に出る度に、留守を任されるカリンが不安そうに返事を返すのだってこの男を心配してるのだろうというのは分かっていた。 ただおそらくカリンも、今までの仕事は何か問題が起こるようなものではないと判断したから黙って従っていた。だが今回の仕事は嫌な臭いを感じ取ったのだろう。 なにせわざと作った時以外には殆ど表情を見せなくなった男が、笑みを浮かべて『おもしろそうだ』なんていったのだ、その『おもしろそう』の意味が不気味で危な過ぎる。いや、情報屋からきた情報はまずカリンに届く筈だから彼女はその『おもしろそう』な理由も分かっているのかもしれない。 「……分かった、今回はお前に留守を任せる」 背中に嫌な汗が滲むくらいの睨み合いの後、セイネリアはあっさりそう言った。 安堵して思いきり気が抜けたが、ここであからさまにそれを態度に出す訳にもいかず、エルは軽く息を吐くだけで抑えた。 セイネリアの方を改めて見れば、彼はやはり無表情を決め込んでいて何を考えているのかわからなかった。それになんとも言えずもやもやとしたものがせりあがってきて、エルは無駄だろうなと思いつつも彼に言った。 「なぁセイネリア、お前はすげぇよ。本気でクソ強ぇし、なのに奢ってなくて誰より冷静に考えられる、他人の意見も聞く。言った事は必ず実行してるし、どんな不利な状況でもお前がいれば勝てそうな気がするくらいだ」 彼が出来ない事で自分が出来る事はあっても、エルは正直、自分がセイネリアに勝ってる部分があるなんて思っていない。自分の意見の方が彼より正しいなんて思う事はまずない。それくらいに彼の能力を信頼している。 けれども、もしも、というのはある、どんな時も、誰にでも。 「お前はよく、死んだら自分はそれまでの人間だったっていうけどよ、お前はそれで割り切れても、お前の周りにいる人間はそれじゃ割り切れないんだよ。……つまりだ、お前を心配して、お前に何かあったらって不安に思う人間がいるんだ。今のお前にはその地位にいるだけの責任もある、だから……何があっても自暴自棄にはなるんじゃねぇぞ」 セイネリアはやはりそれにも暫く黙っていた。 だが、眉がピクリと揺れたのは分かった。多少は彼に響いてくれただろうかと考えて、エルは一歩引いた。 「成程、自暴自棄か……」 だがセイネリアがそう呟いて浮かべた笑みは、ぞっとするほど冷たかった。 --------------------------------------------- |