黒 の 主 〜真実の章〜 【29】 セイネリアが走り出す。 恐怖に竦んで体がすぐ動かなかった一人が、声を上げる事もなく倒れた。 その傍にいた者も、逃げようと背を向けた瞬間には剣が腹を貫いていた。 他の連中が狂ったような声を上げて逃げる。まさに慌てふためき、という言葉通りになりふり構わず武器を投げて逃げた者もいた。足がもつれて転がった馬鹿や、腰が抜けて這う者もいたが、セイネリアはそれらを追いはしなかった。というか、それ以上はもう戦う気がなくなって剣を下ろした。 追い込めば死に物狂いで掛かってくる者もいるかと思ったがこれではもう無理だろう。戦う気がありそうな者が皆無となればこれ以上殺す意味もない。 セイネリアは転んで四つん這いになって逃げようとしている男に向かって歩いていくと、その尻を蹴飛ばした。 「うぎゃわぁひぁああっ」 間抜けな声を上げて男が地面に突っ伏す。それを足でひっくり返すと、男がこちらの顔を見る。 「あ、ひ、ぃ、あ……」 男の目が泳いで瞳があちこち動く中、その下肢が濡れていく。 舌打ちと共に僅かに顔を顰めたセイネリアは、呆れたようにため息をついた。 「安心しろ、もう殺す気はない」 それでどうにか男の目の焦点が定まる。 「勿論、これ以上こちらの工事の邪魔をしないならだ。お前は団に帰って、この状況の報告と一緒に、ここの死体を片付けにこいと俺が言っていたと伝えろ。片づけてる間もそれ以後も、そちらがヘタな事をしない限りはこちらはなにもしない。だが次に何かやったら、今度はこちらから出向いて全員始末してやると言っておけ」 男は声こそ出さなかったが、こくこくと何度か頷いた。 だからセイネリアは相手から離れてやる。 「さっさと行け、なんなら向うで這ってる奴も連れていけ」 それで背を向ければ、男はどうにか立ち上がって、言われた通り腰が抜けて這っている者の方に向かった。 それはクリムゾンにとって、見とれる程美しいとも思える光景だった。 黒一色の甲冑の騎士が、ただ正確に死を量産していく。 無駄のない動き、感情を廃した判断。驚く程効率的に、戦いなどと呼べない程圧倒的に相手を倒していく。 クリムゾンからすればまさに理想の戦士の姿がそこにあった。 「さすが、我が主です」 帰ってきた彼にそう言って膝を付けば、黒だけを纏った騎士はつまらなそうに呟いた。 「雑魚しかいなかったからな」 「そうですね」 ――貴方にとっては、ですが。 クリムゾンは雑魚のくせに大口をたたく馬鹿は嫌いだが、どんな馬鹿でもちゃんと力がある者なら舐めはしない。今回の連中は確かにいかにもな雑魚が大半だったとはいえ、それでもマトモに戦力として数えられるくらいの腕は最低限あったし、少なくとも内8人は通常冒険者としては『腕がいい』と言えるくらいの連中だった。なにせクリムゾンがあのまま相手をするのだったら、数の優位に油断している間に数人殺して囲まれる前に逃げるつもりだったのだから。 単にセイネリアが強すぎて、どの連中もただの雑魚にしか見えなかっただけだ。 傭兵団の肩書を背負ってるような連中は警備隊に捕まるような犯罪行為を堂々とは出来ない。だから罪になる職人達へ危害を加えるような事はない筈である。それが分かっているから、ここを任された時のセイネリアからの指示も『戦力的に少しでもマズイと思ったら逃げていい』だった。『出来れば他の連中が逃げるだけの時間を作ってくれるといいが無理はするな、お前の命を優先しろ』とも言われた。冷徹に見えるくせに、置いてある資材やこの場が荒らされるより人的被害を出すなと言った上で、戦力として一番有用なクリムゾンの命を優先しろと言ったのだ。 冷静かつ冷徹で正しい判断だとクリムゾンは感心した。 だからクリムゾンも逃げ道を確保出来ている間のみで気楽に相手をするつもりだった。 クリムゾンは現状、彼の部下であることに満足していた。 今のところこうしてこの男について、更に評価が上がる事はあっても落胆するような事はなかった。彼についてよかったとそう再確認する事ばかりである。 「時間稼ぎご苦労だったな」 だからそう言われた言葉には素直に嬉しいという思いしかない。さらに頭を深く下げると、死を具現化したような神々しい程不気味な黒い騎士は兜を脱いだ。その彼の瞳の少しも感情が動いてない様子には背筋に駆け上がるものさえ感じる。 「後でこちらから脅しの親書を送っておく。おそらく二度と嫌がらせはしてこないだろうよ」 「そうですね」 あれだけ圧倒的な力を見せられたならこれ以上何かしようなんてまず思わない。生き残った連中は仲間が怒っても全力で止める筈だった。おそらく死体を片付けさせるのも、向こうにこの惨状を見せる意図もあるのだろう。 「……まぁ、つまらんがな」 それは苦笑と共に。ここまで感情のなかった彼の声に、僅かに感情が見えた。 クリムゾンはその言葉の意図が分からなかった。 だからただ単に、弱すぎた連中に向けて吐き捨てた皮肉の言葉だと思った。 --------------------------------------------- |