黒 の 主 〜真実の章〜





  【25】



 起きた途端、セイネリアは笑った。
 ただ天井を見て、顔をひきつらせて、口だけを大きく開けて笑い声をあげた。
 それはおそらく、ハタから見れば狂人以外の何者でもなかっただろう。
 今朝は自分が呼ぶまで決して誰も近づくなと言っておいたから気にする必要はない。
 手を天井に向けて、それから顔を覆って。ただただ腹の底から大声を上げて笑う。
 勿論、楽しくなどない。
 ただ、滑稽ではあった。
 騎士の望みが、自分という人間の結末が、剣の能力が、すべてが滑稽だった。

 騎士は望んだ、自分の技能が最高の肉体で使われる事を。
 それだけを願って、ただただ、自分が気に入る肉体を持つ者が剣を取るのを待った。

 名誉も誇りも捨てて騎士が望んだのは、自分の技能を最高の肉体でふるう事。敬愛する王も、彼を慕ってくれた兵達も、ずっと守ってきた国さえ全てを捨てて、老いた騎士はその望みを選んだ。

――そうして、騎士の望みは果たされた、か。

 馬鹿馬鹿しい。
 セイネリアは笑う。笑う事しか出来ない。
 何もなかった自分は、強くなって自分という人間に価値を持たせたかった。生きるべき意味を持たせたかった。伽藍洞の心の中を満たし、生きている事を実感し、このために生きてきたのだとそう思える感触が欲しかったのだ。

――その望みの行きついた先がこれか?

 最高の魔力をやろう。
 最強の騎士の能力をやろう。

――そんなものを望んでいたんじゃない。

 しかもただ力を与えられただけではなく、怪我をしてもすぐに『戻る』体なんていうおまけつきだ。まだ確定はしていないが、ヘタをすると死なない体になっている可能性さえある。不老不死……年老いて病に倒れた騎士ならそれを願ったとしてもおかしくはない。その願いが剣の主となったセイネリアの体に反映されてしまったとしてもあり得る話だろう。

――願いだと? ……違う、それは呪いだ。

 空っぽの人間は、空っぽの中身を抱えたまま、最高の魔力と騎士の力のための『容れ物』となって、ただの化け物になった。
 なんだこれは、ただの喜劇ではないかと思えば笑う事しか出来なかった。
 セイネリアは笑う、ただ声を上げて。
 狂ったように――いやいっそこのまま狂ってくれないかと思いながら。








 昨日ラドラグスから帰った時から、主の様子はおかしかったとカリンは思う。
 心配だったが、会話自体はいつも通り至極冷静で指示も的確だったから問題はないと判断したが。それでもどこか、纏う空気に妙な違和感を感じていた。

 今朝は昼近くまで寝ている予定だから呼ぶまでくるなと言われていた。そして部屋に近づくな、とも。その指示はおかしいとしか思えなかったが、主の事だから何かあるのだろうとカリンは思う事にした。
 だからやっと呼ばれた時にはほっとして、カリンは急いで主の部屋へと行った。

 けれど、部屋の中へ入って、主を一瞬見ただけでカリンの足は竦(すく)んだ。足が動かないどころか一瞬、呼吸さえ止まった。

「飯を食う。その時にいつも通り昨日の報告をしてくれ」

 主がそう声を掛けてきたからカリンは動けるようになったが、それでも何か部屋の空気に肌がピリピリする感覚が消えなかった。

「どうかしたか?」
「いえ……すぐ、準備をします」

 主は特におかしい、というところはなかった。声も言葉も冷静で――逆に冷静過ぎるとも言えるが。声にまったく感情が入っていない、貴族との交渉の時に見せる冷徹さとも違う、本当に感情を一切切り捨てたような声にカリンは何故かぞっとする。だから逃げるように部屋を出れば、鼓動が早くなっていて自分は恐怖を感じていたのだと理解した。

 食事を持って入ってみても、その感覚は変わらなかった。
 主は落ち着いていて、落ち着きすぎていて。でも空気はピリピリしていて息苦しい。それでもカリンのやる事は決まっているから責務を怠る事はなかった。幸い彼は下を向いていてこちらを見ていなかったからカリンはどうにか動揺を声に出さずに済んだ。

「傭兵団の工事の方ですが、昨日、クリムゾンが敷地内に入ってきた者と揉めて1人殺したそうです」
「そうか」

 返事に感情はない。けれどその後、彼の目は見えないもののその唇が僅かに歪んだのが分かった。

「報復に来そうか?」
「クリムゾンは、来るだろうと」

 今の声は震えてしまったかもしれない。

「分かった」

 答えると同時に、主はクっと喉を鳴らした。それにまたカリンはぞっとする。

「あの……人を送りますか? 戦力になりそうな者ならこちらからも20人程なら出せます。協力を約束している組織に声を掛ければ更に……」

 クリムゾンをあそこの警備に置いた段階でこの事態は最初から予想出来ていた。だからカリンもそれなりに準備はしてあった。

「いやいい、俺が行く」

 それはあまりにもあっさりと。カリンは一瞬黙って、それから恐る恐る聞き返した。

「ボス……一人で、ですか?」
「あぁ」

 いつもなら当然反対するところだ。だが反対出来ない、重圧を感じて声が出ない。
 カリンが黙っていると、セイネリアは顔を上げて笑みを作ってみせた。

「何、装備の試しもある、丁度いい。……あぁ、俺への心配は無用だ」

 その言葉はあまりにも事務的で、こちらが心配をしないように配慮してというより、確定の事実だけを述べているように聞こえた。今の言葉の真意をカリンは考える。勿論、考えたところで結論が出る訳でもないが。
 ただ今のカリンに分かるのは、彼に逆らってはいけないという事だけだった。




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