黒 の 主 〜真実の章〜 【24】 『……そうだな、お前はまだ王に裏切られた訳ではないからな』 ギネルセラが呟いた。 それから急に、彼の顔が笑みに歪む。瞳には先程までの憎しみはなく、まるで悲しむように、憐れむように騎士を見ていた。 そうして暫く騎士をじっと見てから、彼は言った。 『なぁ、お前はくやしくはないのか? 血の滲むような努力で魔法が使えないというハンデを克服するだけの技能を手に入れたのに、病気と老いの所為で全てを諦め、手放して、二度と剣を握れずこの世界から無くなる事をくやしくは感じないのか?』 その言葉に、王へ絶対の忠誠を誓っていた騎士の心に初めて綻びが生まれた。 『なぁ、お前が手に入れたその技能を最高の肉体で使ってみたくないか、使う様を見たくはないか? かつて最強の騎士といわれたのに、惨めに衰えてその技を失くすのがくやしくないか? お前の技を、その能力を最高の肉体で使ってみたくはないか?』 騎士は自分が泣いているのを自覚していた。そうして湧き上がる自分の気持ちを抑えきれなくなった。くやしい、くやしい――自分の努力がすべて消えるそれがくやしいと、考えたら涙が止まらなくなった。誰かに託せるなら、最高の条件でこの技を生かせるのなら――騎士の中で、今まで封をしていたその望みが膨れがっていく。 『この剣の主になれば剣の魔力は勿論、剣の中にいる者の知識と技能さえ手に入れる事が出来る。つまり、この剣の主にお前の知識とその騎士としての技術を与える事が出来る。なのにお前はあの王をこの剣の主に選ぶのか?』 我が王は……と考えれば、暗闇だった世界が急に開けた。儀式を上から見下ろしているような視点で、左右を見ればギネルセラと騎士が台の上で寝ている姿が見えた。だがどちらも少しも動いていない。王は儀式を行っていた魔法使いに詰め寄っているところだった。 『どうだ? 儀式は成功したのか? どうなのだ?』 『まだ分かりません、お待ちください』 血走った目で、狂気に駆られるように魔法使いを怒鳴りつける王の姿を、その時初めて騎士は醜いと思った。自分が彼の事をそう思ってしまった事も驚きだったが、王の姿を見れば見る程彼を醜いという気持ちが大きくなった。 元は――王も戦士としての能力はかなり高かったのだ。だが頂点に立ってからは自ら動く事をやめたせいもあって体は締まりがなくなって無駄に横へと大きくなり、歳を取ったその足取りはふらふらで歩くのがやっとという状態だった。理想と野望を語って輝いていた筈の瞳はいつからか欲と不安に濁り、口端に泡を浮かべて人をなじる姿には嫌悪感さえ覚えた。 『俺は王を許さない。だが正気が残っていれば王に期待したくなってしまう。信じたくなってしまう。……それだけ、俺は王を信じていたんだ。初めて俺を認めてくれたあの方を、俺は信じていたかったんだ』 ギネルセラは泣いていた。憎しみよりも悲しみに歪んだ瞳からだらだらと涙を流していた。 『だから俺は憎しみだけの存在になる。後はお前にすべて任せる。お前が剣の意思となれ、だから、お前がお前の望む主を選べばいい』 その言葉を残してギネルセラは消えた。 騎士はそこで、剣へと呼びかけてくる『外の』魔法使いに向かって返事を返した。 ――そこからの展開はもう分かっている。 騎士は見ていただけだった。 嬉々として王が剣を手に取り、ギネルセラの狂気に精神が飲まれていくのを、騎士はただ見ていただけだった。 王から呼びかけられても返事をせず、手を伸ばさず、ただ見ていただけだった。 剣から力が溢れて暴走し、止めようとした大勢の人々が一瞬にして死んでいく。 剣に振り回された王の体が耐えられなくなって死ぬまでそれは続いた。 騎士は王の死と国の滅亡を見届けてから眠りについた。 誇りも名誉も捨てて最後に縋った願いだけを抱きながら。 騎士の物語を最後まで見た後、セイネリアは声は聞こえなかったものの騎士のその視線を感じた。 それから、彼の感情も。 自分を見つめてほくそ笑む、騎士の満足そうなその感情が分かった。 --------------------------------------------- |