黒 の 主 〜真実の章〜





  【20】



――何だ、これは。

 セイネリアは片手で顔を覆った。腹の中に重い淀んだモノが溜まっていく。
 精神の奥底で喚いていそうな感覚がある中、出来るだけ頭は理性的に考えようとする。

 最初の傷より後の傷の方が深かった。だが後の傷の方が早く治ったところからすれば、傷が重い方が早く『戻る』と考えられる。そうであるなら髪が戻るのに傷よりも時間が掛かったのは理解出来る。ならば更に深い傷ならもっと早く治るのかもしれない。

 もっと深い傷? 例えば、死ぬような傷や、手足を失うような状況では?
 そんな状況でも『戻る』のか?

 刺した筈の腕を見てセイネリアは考える。いくらセイネリアでも、ならばとそこで腕を斬り落としてみるかなんてことは出来ない。

――体に変わりがないだと? 何処がだ。

 確実に変わっているじゃないかと過去の自分に突っ込み、そんな事をのんきに考えていたその能天気ぶりに我ながら眩暈がしてくる。
 だがそこで部屋に人が入ってくる音がして、セイネリアはそちらを向いた。

「ボス、朝食を運んでもよろしいでしょうか?」

 入ってきたカリンは、セイネリアがまだ服を着てもいないのを見て頭を下げた。

「すみません、もう少し後に……」
「いや、持ってきてくれ。今日はラドラグスにいくからな、時間があまりない」

 どちらにしろ、今確認する訳にはいかない。
 今日はラドラグスに行って鎧を受け取る事になっていた。まずはその時にケサランに確認してみるべきだろう。まだすべてが分かった訳ではない、何もかもが確定してはいない。

 頭は冷静に考えている筈だが、今のセイネリアは自分が冷静である自信がなかった。どこか現実感のない感覚があって、妙に手足の感覚が鈍い。

 だから我知らず、何度も頭で繰り返している言葉にも気付かない。まだ、確定ではない、と。それは慎重を期すというより、自分を安心させるために言い聞かせている言葉だった。






 例によって遠出する場合、誰か魔法使いに言っておけばケサランが転送をしにやってきてくれる。
 魔法ギルドがセイネリアの頼みを簡単に聞いてくれる理由は大きく二つある。一つは当然、黒の剣の主であるセイネリアに貸しを作って出来るだけ魔法ギルドに協力してもらえるように。そしてもう一つは、黒の剣の主であるセイネリアの状況を確認するためだ。
 黒の剣を長年研究してきた魔法ギルドにとっても、その力がどれほどで、主になったものがどうなるかなんてわかりはしない。なにせ今までこの剣には誰も近寄れなかったし、剣の主になった者もいなかったのだから。

「お、今日は随分面白くなさそうな顔をしてるじゃないか。何か失敗でもしでかしたのか?」

 いつも通り、伝えておいた時間通りにきた魔法使いは、セイネリアを見ると気楽そうにそう声を掛けてきた。セイネリアはそれに、極力冷静を努めて告げた。

「髪を切ったら、一日で元に戻った」

 いつも通りの面倒そうな笑みを浮かべていたケサランの顔が、そこで真顔になる。

「腕を軽く切ったら血が固まりだす頃には傷がなくなっていた。ナイフを刺してみたら更に早く傷が塞がった」

 セイネリアはただ淡々と事実を述べたが、ケサランの顔は見る間に険しくなっていく。
「他には?」

 セイネリアはそこで無表情を装っていた顔を苦笑に崩す。

「最初は髭が思ったより伸びていないのに気付いたところからだった。俺の予想では、傷や髪は治ったというより、戻っているのではないかと思う」
「戻る、だと?」
「そうだ、とたえば……剣を手にいれた時点に」

 ケサランは顔を顰めて舌打ちした。
 付き合いの長い魔法使いは、それに対して本当かなどとは聞いてはこなかった。

「……確かに、そう考えられる、が……まだ、どういう状況かが正確に分かった訳じゃない。条件や、何者かが意図して介入している可能性もある。早まるなよ」
「早まるとは、何だ?」
「そりゃ、死ぬかどうか試してみるとか、そういうのだっ。まだ何も確定してないんだ、少しづつ調べてみるしかないだろっ」

 それを本心で怒って言ってくる段階で、やはりこの魔法使いは魔法使いらしくないとセイネリアは笑う。彼は自分を心配しているのだ。

「……そうだ、まだ確定じゃない。だから魔法ギルドの方にもへたに言わないで欲しいんだが」

 ケサランはまた思いきり顔を顰めた後に暫く黙り、それから更に苦い顔して大きなため息をついた。

「……分かった。ギルドにはバレないよう……調べられるだけは調べておく」
「あぁそれでいい。こちらも分かっている状況だけは書き出しておくさ」

 ケサランは険しい顔のままこちらの様子をじっと見てくる。感情を読もうとしているのか、それとも魔力を見ようとしているのか。どちらにしろその顔が必死過ぎて、セイネリアはまったくおかしくもないのに喉から笑いがこみ上げてくる。

「まったく、剣だけではなく、俺自身が完全に化け物になっていたらしい」

 呟きは小さく。だがケサランはそれを聞いて下を向いた。




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