黒 の 主 〜真実の章〜





  【19】



 歳と共に衰えを感じだし、それでも騎士は体を鍛えて最強と呼ばれるその地位を守ってきた。けれど病に倒れ、寝床で日々を過ごす内に体の衰えは急激に進んで行った。それでも体が動くうちはどうにかしようとした騎士だったが、若い時と違って動かない生活を少し続けただけで驚く程体の衰えは進み、愛剣を持ち上げることがやっとで振る事など到底出来なくなっていた。
 だから騎士は自ら王にその地位を返した。
 王は戦う事が出来ない騎士の事を大層嘆いてくれて、労いと感謝の言葉と共に以後不自由なく生活できるようにしてくれる事を約束してくれた。

 衰えた騎士の体は更に悪化し、歩く事もままならなくなった。
 それでもその騎士を心配して、毎日部下だった者達がやってきては城での出来事を報告してくれた。
 最初は嬉しかった。彼等が自分を慕って、忘れずにいてくれる事を単純にありがたいと思った。
 けれど老いぼれ、病に蝕まれた惨めな自分の体を実感するうちに、生命力に溢れた彼等の姿を見るのが辛くなった。紹介のため連れてこられたひ弱そうな新人兵士が騎士から声を掛けられて感激する姿を見てさえ、嬉しいという思いより惨めさの方が勝った。今ではこんなひよっこにさえまったく敵わない身で、偉そうに助言をする自分を酷く滑稽だと思った。
 だから、彼等にはもう来なくていいと告げた。
 惨めな自分の姿をこれ以上見られたくなかったというのもある。

 それから暫くは一人でただ死を待っていた。
 世話をしてくれる者にも最小限の仕事だけでいいと告げ、毎日外から見える城を眺めて、早く消えてしまいたいとさえ思った。

 そんなある日、王からの使者が手紙を届けにやってきた。
 手紙に書かれていたのはある意味危惧していた通りの内容だった。

――ギネルセラが裏切りを企んでいる、だが彼がいないとあの剣が使えない。あの剣があるせいで誰も逆らわず平和が保てている。だから他の魔法使いと相談して、剣の中にギネルセラを入れてしまう事にした。とはいえ剣に入れてもきっとギネルセラは自分に従いはしないだろう、だからお前が一緒に剣に入ってギネルセラを抑えてくれないか――。

 正直、ギネルセラが本当に王を裏切ろうとしているのか、騎士はそれに疑問を抱いた。だが、手紙の最後の文が騎士に決断をさせた。

――お前はいつでも私にとって一番信頼できる忠臣だった、お前が私の傍からいなくなって私はいつも辛くて心細かった。だからこれからは剣の中から私にずっと仕えて欲しい――。

 死を待つだけだった騎士にとって、その言葉はまるで闇の中へさす希望の光のように見えたのだ。






 分かっていた話だが胸糞が悪い――目が開いてまずそう思って、セイネリアは舌打ちをしながら体を起こした。騎士が見せる夢の意図が何か分からなかったからここ数日は一人で寝ている。表情を繕う必要もないから、思いきり顔を顰めた。

 つまり騎士がわざわざ核心部分を隠してまで自分に追体験をさせているのは、自分の絶望を理解してもらいたいと言う事なのか。すべてを剣に捧げたのに、その剣を持つ事さえ叶わなくなって絶望していく老騎士の気持ちを理解して欲しいとでもいうのだろうか。だからギネルセラが無実かどうかを置いて置いても王に従ったのだとその言い訳でもしているつもりなのか。

 相変わらず騎士は何も声をかけては来ない。その感情さえ感じない。精神が繋がっているならこちらの考えは向こうにも見えている筈だ。それとも向うからこちらへの一方通行なのか……ムカつきついでに頭を押さえて、だがそのまま自分の前髪を探ってセイネリアは停止した。

 切った髪がどこか分からない。

 昨夜寝る前に確認した時までは確かに、指で探れば長さの違う髪があるのは分かった。だが今、どれだけ探っても髪の長さで変わっているところがない。起き上がって、鏡を見て、どれだけ調べても分からない。

――まさか、戻ったのか?

 髪が伸びるのが早いというのとは違う。それなら全体的に伸びる筈だ。これは切った部分だけが元の長さに戻ったと考えるべきだろう。

 髭だけなら別の原因も考えられた。だが髪は、明らかに『戻って』いた。

 セイネリアは思いついて、装備を漁ってナイフを抜いた。最初は軽く、それで左腕を掠る程度に切った。切り口がじわりと赤く浮かび上がり血が滲む。傷に沿ってぷつぷつと浮かび上がった血の粒は、放っておけば少しづつ膨らんで大きくなっていく。一番大きな粒が割れて腕を滴っていくのを、セイネリアはただ見ていた。

 そう、傷自体は付く――どこか安堵したように自分から流れる血を眺めていたセイネリアは、だがいつからか血の粒が膨れなくなっているのに気付いた。
 普通ならば、血が止まるのは血が固まった時だ。
 けれども、傷口をなぞるように指で拭えば、その下には傷がなかった。多少固まった血がこびりついてはいたが、切った筈の傷痕はなかった。
 念のため水場に行って、水瓶から水を取って腕を洗う。血がなくなれば完全に傷痕を示すものはどこにもなかった。瘡蓋は勿論、皮膚に切れた跡一つない。

 セイネリアはナイフを再び持った。それから今度は腕の表面を切るのではなくナイフを腕に刺した。そこまで深くはないが、先程よりも確実に怪我としては重い。ナイフを抜けばその瞬間は血が溢れたが……見ている間に血は止まった。しかも先程よりも確実に早く。まだ固まってさえいない血を拭えば、やはり傷はなくなっていた。

 傷つけた時の痛みは当然ある。だがその痛みもすぐになくなる。その時には血が止まっていて、傷口は元に『戻って』いた。





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