黒 の 主 〜運命の章〜





  【76】



「では、行きますね。私はここでお別れです」

 暫くすると思い切ったようにラスハルカが立ち上がったので、殆ど食べ終わっていたセイネリアは口を拭って彼を見た。

「ここから一人で帰るのか?」
「いえ、記憶操作を受けるならクストノームまで連れて行かれるらしくてですね。終わったら好きな場所に送って行ってくれるそうです」
「成程、言う事を聞いた者へのサービスか」

 連中らしい、と口元に皮肉を浮かべれば、やはり食べ終わったらしいエルが会話に入ってくる。

「ったく、ついでに俺らもせめて樹海の外まで連れて行ってくれりゃいいのによ」

 ただそれにはエルの背後から答えが返って、彼は振り返る事になった。

「うん、だから皆も樹海を出るとこまでは連れていってもらえるようにしたよ。なにせ、僕とアリエラもクストノーム行きだからね。僕らがいないと、残った皆が樹海を無事に出れるか怪しいでしょ」

 どうやら魔法使い見習いの2人の方も話が終わったらしく、火の傍に座ったサーフェスがそう言ってくる。

「どーせ、彼らがあれだけ人数連れてきたのは、ハッタリもあるんだろうけど、こっちの全員をクストノームに連れて行く為の転送役てのもあるだろうし、その程度させちゃっていいんじゃない、って事で交渉しといたよ」
「おー、そりゃ有難いね」

 エルが上機嫌で言葉と共にサーフェスに抱き着こうとする……が、彼はそれをひょいと避けて立ち上がるとセイネリアの目の前に歩いてきた。避けられて地面につっぷしたエルをアリエラが笑っている声が聞こえてくる。

「ねぇ、別れる前に聞きたい事があるんだけど、いいかな?」
「なんだ」

 サーフェスはにこりと笑って話しかけてきたが、セイネリアが顔を上げるとその顔から笑みを消した。

「アリエラが空間を作る時に、あんた力を貸したよね。彼女に聞いたんだけど、術は完璧じゃなかったのに、余剰の力があったせいで成功したって。その力さ、今度僕にも貸して貰う事って可能かな?」

 セイネリアの見たところでは、サーフェスは『使える人間』だ。貸しを作っておくだけの価値がある。

「出来ればあまりやりたくない……が、お前がやろうとしている事が俺にとっても面白いと思えるか、お前がそれなりの代価を出すなら、だな」

 それを聞いた途端、彼の顔はまた笑みを取り戻す。

「それじゃ、その内、準備が出来たら頼みにいこうかな。……代価は別途考えておく事にしとくよ」

 どうやら彼等はこちらには別れの挨拶に来ただけらしく、そう告げるとまた魔法ギルドの連中の方へ行こうとした。
 だがそれを、エルが引き留める。

「あっと、その、アリエラ、一言だけ」
「え? 何?」

 アリエラには思い当るものがないらしく、立ち止まりはしたが不思議そうにエルを見ていた。一方エルは少し言い辛そうに顔を顰めてから思い切ったように口を開く。

「ウラハッドがさ、最後……あんたに、『代わりに死ぬんじゃなくてごめん』って伝えてくれってさ」

 魔法使い見習いの少女は目を丸くする。それから一瞬だけ泣きそうな顔をしたかと思ったら、すぐにそれはぎゅっと怒ったように顰められた。

「馬っ鹿みたい」

 勝気な少女らしく唇を尖らせて言い捨てた声は、だが語尾が震えていた。それから彼女はすぐにエルに背を向けると、サーフェスの後を追って走って行った。

 エルがウラハッドの最期に立ち会ったのはあの状況では明白だ。そしてその時、エルが魔法使い共に言っていた通り『たった一人真実を知ってるやつから死に際に大切な話』を聞いたのだろう。ウラハッドは死に場所を求めていた、だから彼が死んだのは彼にとっては喜ぶべきことなのだろうと分かるが、エルにとっては後味の悪いものだった……というのもまた分かる。
 複雑な表情でアリエラが去っていくのを見ていたエルは、やっとそこから目を逸らしたところでラスハルカと目があったらしく、今度はにっと笑う。

「あんたも行くんだろ。じゃぁまたな……って、いう言葉は意味ないか」
「そうですね」

 いつものエルらしく、茶化したように頭を掻けばアルワナ神官でもある男はクスリと笑う。それから彼もまたサーフェス達の方へ一度は向きを変えて……それから何か思いつきでもしたのか、またセイネリアの前まで歩いてきた。

「では、これでお別れです」
「あぁ」
「貴方は去る人間は引き留めない主義なのでしょうね」
「……なんだ、引き留めて欲しいのか?」

 セイネリアが顔を上げると、ラスハルカは笑って首を振る。

「いいえ、私は引き留めて貰えるような人間ではありませんから」

 そういう自分を諦めたような言い方は好きではないが、今の彼の顔には未練めいたものがない。吹っ切れはしたのだろう。

「ただちょっと思ったのです……いつか、こうして、貴方から離れていこうとする者を、貴方が『行かないでくれ』と言う事はあるのでしょうか、貴方が離したくないと思う者が貴方に現れるのでしょうか、と」

 それにセイネリアは考えた――確かに自分は去る者を引き留めた事はない。本人が決めたのならそれを曲げようとする気はないというのもあるが……結局は、どんな相手であれ、執着したことがないからだといえるだろう。

「さぁな。俺もそれは興味があるところだ」

 自嘲気味に呟けば、ラスハルカも嫌味のように満面の笑みを浮かべた。




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