黒 の 主 〜運命の章〜





  【75】



 セイネリアが魔法の膜の外へ出れば、すぐ鼻に肉の焼ける香ばしい臭いが入ってきた。どうやら待っている間に食事をすることにしたらしく、エル、クリムゾン、ラスハルカが火を囲んでいる姿が見えた。魔法使い見習い2人は見当たらなかったから、彼らは彼等で別に話をしているのだろう。

「それでは」

 セイネリアが出るとほぼ同時に、魔法の膜は消え、魔法ギルド側の二人は苦い顔で仲間の方へと歩いていく。ただだからといって彼等もすぐ帰る訳ではないのだろう……というか、こちらを置いてさっさと帰って貰うつもりはなかった。

「おいセイネリア、腹減ったんじゃねーか。食うかー?」

 こちらに気づいたらしく、焚火前にいたエルが大声で手を振って言ってくる。そこでセイネリアは顔の表情筋を少し緩めた。

「そうだな、確かに腹は減ったな。食えるものがあるなら貰おうか」

 セイネリアはエル達の方へ歩いていって火の傍に座る。

「おー、待ってな、今準備してやっからよ。あ、とりあえずこれ食っとけ」

 エルが上機嫌で焚火前に刺してあった肉の串をとって渡してくる。それだけではなく、他の食材もさっさと切り分け出した。その様子に思わずセイネリアも呆れる。

「随分、いたれりつくせりだな。気味が悪い程に」
「いやー、そらもうな、お前にゃ今回随分と借りが出来ちまったからなぁ」

 この男は本当に分かりやすい。あの必死な様子といい、彼は死んだウラハッドから余程重要な話を聞いたらしいとセイネリアは思う。

「借りとは、記憶を消されなくて済んだ件か」

 ただそう聞いてみれば、今まで分かりやすい満面の笑顔を浮かべていた彼が、少し困ったように眉を下げる。

「まー、一番はそれだな。後は他にも、結界から出してもらった件とか、クリムゾンの暴走を止めてもらった事とか……今回ばっかは、お前がいて助かったというより、お前がいなきゃ助からなかったレベルだからな。感謝してる、本気でな」

 けれど最後の言葉はやはり満面の笑みで。本当に分かりやすい男だと思いつつ、彼のそういう部分がセイネリアにとって一番付き合っていて気分がいいところだった。

「成る程、なら素直に受けておこう」

 裏がないから彼の好意は素直に受けておく。セイネリアは早速、手からグローブを外すと渡された肉串に歯を立てる。話している間に思ったより時間が経ったようで、太陽の位置はかなり低くなっていた。セイネリアとしても言われれば腹は減っていたからあっさり渡された肉を食い切った。

「あまり楽しくない話だったようですね」

 そこへラスハルカがやってきて、こちらの傍に座った。
 セイネリアは肉を飲み込んでから指先の脂を軽く舐めると言葉を返した。

「まぁ、魔法使いとの話など、そんなものだとは分かっているがな」
「へぇ、で、何話したんだ?」

 顔を上げればエルが椀を両手に持って立っていた。言えないからあの魔法の膜の中で話してたんだろ――と思いながら彼を睨めば、エルも気づいたのか顔を顰めてため息をついた。

「わーったよ、聞かねぇって」

 そうして渡してきた椀をセイネリアは受け取った。芋と香草のスープらしい。

「聞いたら、今度こそ本当に記憶を消される事になるぞ。その時は放っておくからな」
「……わかった」

 その声は彼にしては真剣で。それに引っかかるものはあったが、今聞くつもりはないから気付かなかったふりをする。
 エルが盛大に肩を落としてその場にどかりと座る。
 そこで横にいたラスハルカが柔らかい声で言ってきた。

「それなら私は聞いてもいいでしょうか」

 エルからうけとった椀に口を付けようとしていたセイネリアは、それで視線だけを彼に向けた。

「私は、記憶の消去を受ける事にしました」

 やはりそういう事か、と思いはしたが理由は話してもらわねばならないから軽く彼の目を見つめる。

「折角貴方が交渉してくれたのに申し訳ないとは思うんですけど、私は立場上『秘密を守る事』は不可能なので。貴方なら分かるでしょう?」

 ラスハルカがアルワナ神殿からの情報調査の人間……というなら、想像出来る事はある。なにせ彼等は眠っている人間の意識を読み取れる。言わなければいい、という訳にはいかないのだろう。そうなれば秘密を守るのには記憶操作を受けるしかない。

「律儀な事だな」

 セイネリアは椀の中身を啜った。
 神殿の駒である彼が、神殿を裏切らずに、魔法ギルドとの約束を果たそうとするなら確かにそれしか方法はない。自分の事を所詮ただの駒だと思っている人間にとっては正しい選択ではある。

「仕方ないでしょう、それに、ここでの事は全部……貴方の事も、忘れてしまった方がいいと思いましたしね」

 ただその言葉には駒になり切りたくない未練が見えて、セイネリアは手を止めて彼の顔を見た。セイネリアとしてはこういう言い方は好きじゃない。止めて欲しいのならハッキリそう言えばいいし、割り切ったのなら未練を残すなと思う。
 こちらがそれに不快感を示したのは彼にも分かったようで、彼は少々大袈裟ぎみに肩を上げて苦笑した。

「商売柄、これからの仕事に支障があるような要素はない方が良いですからね。ここはさっぱりリセットしておくべきでしょう。どちらに対して嘘をつかなくてもよくなりますし」

 止めて貰いたい訳ではないなら、後はこちらには関係ない。セイネリアはまた椀の中の汁を啜った。ラスハルカは黙ってこちらを見ていたから、セイネリアは無視して食事を進めた。エルも傍にいたが彼も黙って椀の汁を啜っていて、クリムゾンは先に食事が終わっていたのか、火から少し離れたところにいてこちらを見ていた。





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