黒 の 主 〜運命の章〜





  【70】



 セイネリアと魔法使いの話が終わった後、クリムゾンは大声で笑いたい気分になった。今まで感じた事もない程爽快な気持ちで、心から愉快だった。
 そうしてクリムゾンは確信し、納得した。あの男こそ最強を名乗るに相応しいと。

 最強の剣をいらないと言い、魔法使いがその剣を使って世を統べろと言ったそれをふざけるなと笑い飛ばした。あの男はどんな力や権力の誘惑にも揺るがない、ただ自分の意思だけで生きる男なのだ。
 クリムゾンは分かった、今まで見た自称最強達が安っぽくしか見えず実際最強などではなかったのは、最強という力と称号に精神が依存していてからだと。だから自分より強いと思う相手を前にすれば簡単に折れる、自分の力の限界を知ればなんの価値もないでくの坊に成り下がる。

 だがあの男は違う。

 最強という称号など彼にとってはなんの意味もない。誰もが跪く最高権力さえ彼にとってはどうでもいい。ただあの男は自分の意思で自分の力で掴むものだけに価値を見出す。他人を負かす事も従える事も彼にとっては大して重要ではなく、自分で掴んだ力についてきた付属品のような感覚だろう。

 彼は誰にも屈しない。誰も彼を従わせることは出来ない。だから彼の上には誰もいない、それこそが彼が最強である印だ。

 あの男が魔法使いの誘いを馬鹿にしたとき、剣をただの道具だと言っていた時、クリムゾンはぞくぞくと背筋から駆け上がる高揚感を感じていた。ただの冒険者でしかないあの男が、既に多くの人間の上に君臨する至高の王のように見えた。

 最強の男が最強の剣を手にいれてもおもしろくないと思っていたが――それは違う、最強の男であるからくるべくして剣が彼の元に来たのだ。

 だからクリムゾンはこれからの自分がどうするか、それをもう決めていた。







――やれやれ、まさかこんな事態になるとは。

 ラスハルカは周囲を見渡して苦笑する。
 セイネリアは魔法ギルド側の代表者と魔法使いが作った隔離膜のようなもの――アリエラが言うところではあれも結界らしく、音を遮断するためのものだそうだ――の中に入ってしまい、他の連中はその間待つしかなかった。ただアリエラとサーフェスはこちらとは別の待遇で、やはり話があるからと別の結界の中へ行ってしまった。残ったのはラスハルカ、エル、クリムゾンの3人だが、当然、後ろに控えていた数十人の魔法使いに監視されている状態だからのんびりただ待つだけの気分にはなれない。

「ほんっとに、いいんだな?」
「はい、貴方がたには何もしません。してはいけないと言われています」

 一応、こちらの世話役、というか何かあった場合に説明をする人間として魔法ギルドの方から一人傍についてくれているのだが、その人物への質問やら確認は先ほどからエルが一人でいろいろしてくれている。おかげでラスハルカもクリムゾンも聞きたい事はあらかた聞いてくれているから特に話す必要がない。

 セイネリアの脅しのおかげで、こちらの3人の処遇については口外しない事を約束するだけで解放される事になった。クリムゾンとエルはそれで安堵した……というところだが、ラスハルカは彼等とは事情が少々異なる。

 ラスハルカには『口外しないと約束する事』が出来ないのだ。

 アルワナの神官、特に外へ情報収集のため潜んでいる者は自分が見聞きした事を秘密には出来ない。何故ならアルワナ神官の神殿への報告は言葉や文書によるものではなく、眠った状態から神殿所属の神官に意識を読み取ってもらう事だからだ。
 だからラスハルカが秘密を守るためには記憶を消すしかなかった。つまり、今回の仕事に関係する事を全部忘れるという事だ。

――あの男は怒るかもしれないですね。

 彼がわざわざ魔法ギルドを脅して記憶操作をしなくていいようにしてくれたのにそれを無に帰すような事をするのだから。それを考えると申し訳ない気もするが、あの男にとってはどうでもいい事なのだろうとも思う。自分で決めたのなら口を出す気はない、ときっとそう言うだろう。

 ラスハルカの自身、記憶を消す事に迷いはない。そもそも普段から、記憶が神殿の情報網に直結していてプライベートなんてないから記憶なんてそんな大切なものではないのだ。だからその判断には迷いはないし、もう決めていたが……ただ今回は、少しだけ惜しいという未練のような思いもあった。

 あの誰にも影響されない、死者さえも近づけない男の事は、出来れば覚えておきたかった。

 子供の頃から神殿で育って、神殿の言う通りの人生を送ってきただけのラスハルカにとっては、常に自分の意思だけで行先を決めて来た彼のような男はとても新鮮で、こういう人間もいるのだとなんだかとても嬉しかった。多分これは憧れのような感情なのだろう……あまりにも自分と違う生き方をする彼に対する羨望と憧れ。勿論彼のように生きようと思っている訳ではないし、自分には出来ない事だと分かっている。ただ、こういう人間もいるのだと、それを覚えておきたかったとそれだけが残念だった。

 そしてきっと彼のような他人に興味がない男なら、自分が忘れてしまえば彼にとっても知らない人間扱いになるのだろう。それが少しだけ寂しかった。




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