黒 の 主 〜運命の章〜 【49】 何も見えない暗闇の中、エルの心境は複雑だった。聞きたかった話を聞けるというこの状況に喜びを感じられもしない。 明らかに今、そこにいる男は死にかけていた。 「俺の恋人……という事になっていた人は騎士で、跡取ではないが貴族だった。一方俺はただの靴屋の小倅で、上級冒険者になれたとはいえ騎士でもなく、到底彼女につりあう筈なんかなかった。だから、付き合っていてもずっと後ろめたいというか、彼女に申し訳なくてね、どうしても結婚を申し込めなかった。だがそれで悩む俺のところに、ある日とんでもなく条件のいい仕事の話が入ってきたのさ。ある貴族の護衛の仕事を受けて、その移動ルートと護衛交代のタイミング、休憩予定を雇い主に教える事……」 そこまで聞けば、ウラハッドの本当の仕事が何かなんて誰でもわかる。 「つまり、内通者はあんただったって事なのか」 「あぁ、そうだ」 冷静に、淡々と答えるウラハッドの声に、エルは拳を固く握りしめた。これがこんな状況ではなく酒場での話だったら、確実に今エルは彼をぶん殴っていただろう。 「成功したら、依頼主側の貴族の屋敷で雇って貰える事になっていた。その後に依頼主のツテで騎士試験の許可証も出してくれることになってた。騎士になれれば、立派な貴族に雇われて世間的にも認められれば、そうすれば彼女に結婚を申し込める――そう思った俺は仕事を受けた。そして、仕事は雇い主の思惑通りにすべてうまくいった、だが……ばちが当たったんだろうな。……いや、そんな言い方はだめだな。俺の罪を裁く為だけに彼女が死んだなんて思いたくない」 どこか他人事のように冷静だった彼の声がそこで震えた。そこから声が上ずり、泣いているのか嗚咽が混じる。 「俺は知らなかった。俺は護衛として雇われてはいたが、いくら上級冒険者といっても、平民出の者なんて貴族の傍において貰える筈なんかなくて、遠回りにしか護衛の馬車をみてなかったから――まさか、彼女がその貴族の身辺警護の仕事についていたなんて知らなかったんだ」 つまり彼は彼女のためにある程度の地位を得ようとしてヤバイ仕事に手を出し、そのせいで彼女は死んだ。彼が雇われなかったら別の誰かが同じ役目をしていたかもしれないともいえるが、少なくとも彼は自分が彼女を殺したも同じだと思っただろう。 彼に同情なんてする気なんてまったくないが、彼が廃人となって死に場所を求めるだけになった理由はエルにもよくわかる。 「しかもだ、雇い主の貴族の方は約束なんか守る気はなくて、最初から俺を始末する気だったのさ。……でも、俺はもうそれでも構わなかった、だから抵抗もしなかった。そしたらな、殺さなくていいって、仕事を持ってきた雇い主の使いはいいやがったんだ。こいつはもう死んでるも同じだ、放っておいていいだろうって」 ウラハッドは笑う。いや、それは泣きたくても自分を責めて嗤うしかなかっただけの事で、やがてその声はただの嗚咽になり、啜り泣く声だけが暗闇に響く。 エルは黙って拳を握り締める。勿論、彼を許せるはずなんてない。だが、この男の後悔と苦しみと悲しみと――そうしてこの男がもうすぐ死ぬと分かっているからこそ何も言えなかった。 啜り泣く声はやがて小さく、細くなっていく。 けれどその声が途切れて静寂が訪れた途端、エルは思い出したように大声を上げた。 「おいっ、それで、お前の雇い主だった貴族ってのは誰なんだっ」 そうだ、彼から最後にそれだけを聞かなくてはならない。 だが返事が返る事はなく、暗闇の中どうにか彼の頭の方へと戻ったエルは手探りで彼の体を探す。けれど触れたその体は動かない。揺り動かしても反応が返ってこない。 「くそっ、死ぬなら最後の問いに答えろっ、まだ死ぬんじゃねぇっ」 彼の顔を探りあて、それを叩く。 すると、ピクリと、僅かに触れている彼の頬の筋肉が動いた。 「……あぁ、お嬢ちゃん……に、代わりに死ぬんじゃなくて、ごめん、て……」 それが彼の最後の言葉だった。 その後どんなに待っても、顔を叩いても、死に場所を探していた男の体は二度と動く事はなかった。 --------------------------------------------- |