黒 の 主 〜運命の章〜





  【44】



「『ソれハ、私のモノだっ』」

 そこでまた声が響いて、今度はラスハルカ自身が剣を抜いてこちらに向かってきた。見てすぐに分かる、その動きは速く、無駄がない。滑るようにぶれなく伸ばされた剣は一撃で致命傷を与える暗殺者の剣だ。見ただけで相当の腕だと分かるそれは、だがセイネリアにとっては少しも脅威には思えなかった。考えるより先に体が動き、彼の剣を弾く。それでもすぐに剣先の軌道を変えて返ってくる剣を、今度は頭を少し動かすだけで避ける。それでも向うは更に切り返してすぐにまたこちらを狙う。

――いい腕だ。

 これはラスハルカの能力か、それとも『中にいる奴』の能力か。そんな事をのんびり考えるくらいの余裕がセイネリアにはあった。
 力業に持ち込むまでもない速い代わりに軽い剣を、今度は避けてすぐその根本を叩いて弾いた。そこで彼は剣を手から落す。セイネリアは片手だけで彼の腕を掴んで捻り上げ、後ろ手にして押さえつけるとエルを見て言った。

「おいエル、ちょっとこいつを押さえてろ」

 見とれるようにぼうっとしていたエルは、驚いて目を丸くしてから自分を指さし、それから急いでこっちに来た。セイネリアがラスハルカの体を渡すと、エルは急いでラスハルカの体を押さえつけた。

「『死ネ、しね、シネッ』」

――さすがにクリムゾンの時みたいな人外の力はないか。

 エルでも問題なく押さえつけていられそうだと思ったセイネリアは、そのままラスハルカに背を向けて歩き出す。
 骸骨兵達が動いてたいた時、セイネリアに見えていた床を覆う魔法の筋。その根源、すべての筋はある場所から伸びていた。そこへセイネリアは向かっていた。

――剣のせいで国を滅ぼしたのにまだ剣に未練があったのか?

 貴様のその欲のせいで全てを失ったくせに――と、セイネリアは王座の下に転がる王冠をつけた髑髏に侮蔑の目を向ける。今のセイネリアは知っている、王が欲と疑心暗鬼に駆られてギネルセラを裏切った事を、ギネルセラの絶望と憎悪と最後の呪詛の言葉を、そうして王が狂ってこの城周囲の人間全てを殺しつくしたその姿を。それを知るギネルセラの記憶は今、全てセイネリアの中にある。
 ただし、それはあくまでただ知っているだけで、同情も共感も一切ない。ただ第三者の記憶としてあるそれを見下ろして、馬鹿な連中だと思う以外に感情に働きかけるものはなかった。

「『ヤメろっ、こコは私の国だッ、私の城ダッ、出て行ケ、剣ヲ返せッ』」

 頭の中で何かが笑っている、おそらくは裏切られた魔法使いギネルセラの歓喜の笑いだろう。だがセイネリアはそれに耳を傾けはしなかった。その意識を無視してただ事務的に剣を振り上げ、そうして振り落とす。

「『ウわあぁアアッ、やメろっ、ヤメロ――』」

 黒い刀身が髑髏を貫く。
 年月を経た骨は脆く、割れて、砕けた。

 そこでまたしん、と静寂が訪れて、セイネリアは振り返った。
 ラスハルカはぐったりと力を失くし、今はエルが押さえつけているというより、落ちないように持ち上げているような状態だった。

「……いい加減に、もう勘弁してくれよ……」

 ただ安堵したようなエルのその呟きに、セイネリアは笑う。
 ラスハルカが重いのか、それともエル自身も安堵し過ぎて力が抜けたのか。動かない男を持ちながら、エルは沈むように床に座り込んだ。

――あれは俺が担いでいった方がいいだろうな。

 思ってエルの方へ一歩踏み出したセイネリアは、だがそれと同時にギギっと何処かで軋むような音に気づいた。それが床の方からだと思って下を見れば、ぐん、と床が下方向へとたわむように揺れた。

「おい、何か……」

 エルが驚いて、立ち上がろうとする。
 アリエラが悲鳴を上げる。
 マズイ、と出口に向かって走ろうとしたセイネリアだが、それより早く床が沈んでいき、ついには耐えられなくなった床が割れる。足元がただの穴となって踏みしめるものが何もなくなる。当然その場にいた者達は、そのまま暗い空間に放り出された。

 聞こえるのは他の連中の悲鳴と怒鳴り声。押し寄せるように向かってくる骨や骨だった粉、床の欠片達。こうなれば後は『下』までの距離が生き残れる程度であることを祈るしかない。
 だが落ちていくセイネリアの中には何故か、自分がこれで死ぬ筈がないという妙な確信があった。




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