黒 の 主 〜運命の章〜





  【39】



――どちらにしろ耐えるだけでは意味がないな。

 床に押し付けて潰そうとしてくる力をどうにか耐えているセイネリアは、そこでまた例の悲鳴を聞いた。あぁうるさいと思いながらもクリムゾンを見れば、その姿はこちらに向かって歩いて来るところだった。

 セイネリアは、噛み締めた歯に力を入れてまた口角を上げた。向うから近づいてきてくれるなら好都合だ。

 赤い髪の剣士がやってくる。最初は操り人形よろしくぎこちなく歩いていたのが、途中から早歩きになり、ついには剣を振り上げて走ってくる。そうして目の前まで近づいたのを見たのと同時に、セイネリアは全身に精一杯の力を入れた。

 足が伸びて、どうにか立ち上がる。
 そこまでくれば、あとは体を伸ばす勢いを使って剣を振り上げるだけだった。

「があぁぁっ」

 鉄と鉄がぶち当たる音がして、手ごたえが腕に返る。
 こちらに向けて振り下ろされた黒い刀身は弾かれて、クリムゾンは後ろへとよろけながら下がっていった。それでも体を止め、再び赤い剣士は剣を振り上げる。

 彼を見る間にも、ぐ、と体には更に上から圧が掛かる。だがセイネリアは立って剣を構え、相手を睨みつけた。当然それだけでも筋肉への負荷は酷い、歯を噛み締めたまま喉が唸り声をあげる。
 黒い剣が再び振り下ろされてくる。セイネリアは再びそれを弾く。
 だが今度は向うが体勢を整えるのを黙って見ていてなどいない。弾いた勢いのまま足に力を入れて前につっこみ、そのまま肩から体当たりを仕掛けた。
 クリムゾンの体が吹っ飛ぶ、と同時にセイネリアを押しつぶそうとしていた上からの力が消えた。セイネリアは大きく息をついた。それから軽く首を左右に振って筋肉を解しながらクリムゾンの方へ歩いていく。

 クリムゾンは大きく後ろへ数歩下がったもののどうにか倒れずには済んでいた。だが未だに体勢を戻すまでは出来ず、その背は曲がって上半身は撓(しな)るように揺れていた。全身完全にバランスを失っているようでふらふらと足元もおぼつかない。

――残念だったな、力は化け物でも剣の腕は素人だ。

 ただ剣を振り下ろすだけで俺を斬れるかと、心で呟きながらセイネリアは走り出す。未だにクリムゾンは体勢を戻せていない。その彼に向けて、セイネリアは剣を大きく横に引くとそのまま薙ぎ払うように振りぬいた。クリムゾンは揺れる体の上半身だけ持ち上げて剣を受けはしたが、体勢が不安定なままだったためか剣から片手が離れてしまい、そのままふらふらと揺れて、回りながら後ろへと下がっていった。
 その隙にセイネリアは彼の背後に回る。相手の左脇に腕を入れてそのまま肩から腕を押さえつける。右腕では彼の首を押さえつけて絞める。そうすれば一瞬、クリムゾンの体から力が抜ける。彼の右手だけに持たれた剣が、誰もいない場所を払って空を切った。

 その黒い剣を見て、セイネリアは考えた。

 クリムゾンはまるで吸い込まれるようにこの剣に向かって行った。となれば、彼が操られたのは剣を持った時ではなく剣を見た時だったのではないだろうか。そういえばエルは逃げる時に剣を見ないようにしていた、他の連中は剣に魅入られたように動けないようだった。
 セイネリアも剣を見た時になにか不快な感覚は受け取ってはいたがそれだけだ。それに……頭の中にメルーが言っていた言葉が思い浮かぶ。

『少なくとも操る系の術とか、相手の魔力に働きかけるような術は効かない。なによりそれと……魔法使いが苦手なモノを苦としないのよ』

 元の魔力が低すぎるメリットとして彼女が言っていた言葉と、彼女の自分に剣を取りに行かせたがっていた口ぶりからすれば、自分ならこの剣が持てるかもしれないと彼女は思っていた可能性がある。それに現に今、少なくともセイネリアはこの剣を見ても問題はない。

――賭けだな。

 クリムゾンを押さえつけたまま、セイネリアは彼の持つ黒い剣に手を伸ばした。

「おいやめろっ、だめだっ」

――なんだ、まだ逃げていなかったのか。

 さっさと逃げろと思いながらエルの声を遠くに聞いて、セイネリアはその剣の柄を掴んだ。取り上げるように引っ張れば簡単にクリムゾンはその手を離し、完全に力が抜けて崩れるようにその体は地面へと落ちていった。

 そうして今、その場に立つのは、黒い剣を持ったセイネリアだけとなった。




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