黒 の 主 〜運命の章〜 【9】 「あー……ほんっっとにムカつくわ」 肩が凝ったというように首を左右に曲げながらそう言うと、魔法使い見習いの少女アリエラは座ったまま猫のように背中を丸めて手足をぐっと前に伸ばした。 「あのオバサン、自分が貴族令嬢だとでも思ってるのかしら。完全に私の扱いは召使いよ!」 師のメルーの前では大人しく言う事を聞いていた彼女だが、どうやらこちらが彼女の『素』らしい。見張り番として起こされてウラハッドと2人になったところで、彼女の愚痴大会が始まってしまった。 ただそれをうっとおしいなんてウラハッドは思わない。娘とまではいかないが、それに近い歳の差がある少女の怒っている姿は微笑ましいくらいだし、よく変わる表情を見ているのは楽しかった。 それに……少なくとも彼女の愚痴を聞いている間はこちらの事を話さなくていいのだから。 「まぁどの仕事でも『弟子』なんていうのは雑用係をさせられるものだけどね」 「それはまぁ仕方ないかなって思うところだけどぉ〜、でも生活感のない魔法使いのお世話ってホぉント大変なのよ」 「それは……そうかもしれないね」 魔法使いの事なんて知る筈もないウラハッドだが、一般的なイメージとして想像は出来る。生活感がなくて研究第一で部屋にはあらゆる資料やら薬やらその素材やらの怪しいものが大量にある――そんな感じだ。 「超ズボラでなーーーんにもしないくせに、自分は本を見てるだけで私に髪結わせたり足洗わせたり爪の手入れさせたり……自分で出来ないならおばさんらしくへんに色気だすんじゃないわよ! こっちは髪を切り揃える暇さえないのよ!」 「はは……まぁ、大変なのは分かるよ」 だが怒り過ぎたのか、そこで伸ばしたままの片足を持ち上げて地面を強く叩いた彼女に、ウラハッドは少々心配になってしまう。 「でもその……そんなに好き勝手言ってて大丈夫なのかい? もし起きたら大変なんじゃないか?」 そっと寝ているメルーをみてから小声で聞けば、アリエラは澄ましていれてあった茶を飲んだ。 「大丈夫よ、あのおばさんねぼすけですっごい寝汚いから。いつも起こしても起きないから放っておいてるもの」 「……なら、いつも寝ている間に愚痴を言っているのかな?」 「えーえ、言ってるわよ。ストレス発散で愚痴言いながら術用の素材を切り刻んで叩いてすりつぶしてるわ」 言いながらアリエラは憎々し気な表情を浮かべ、手ですりこ木を回すマネをする。 「怖いなぁ……」 それに思わず笑ってしまってから、それが随分久しぶりだっ事にウラハッドは気付く。あの日からずっと死に場所を探してきたからこうして笑う事などなかった。だから彼は考える、今度こそ本当に死ねるかもしれないと。 暗い森の中、目を閉じれば遠い動物達の鳴き声と、目の前でパチパチと弾ける焚火の音だけが聞こえる。暗闇と静寂……それはクリムゾンにとっては慣れた心地よいものである。 けれどそこへ、その静寂を台無しにする声が入ってくる。 「ほんと、面白くない男ね」 「あぁ、それでいいぞ」 それに女魔法使いは不満そうに睨みつけてきてからつまらなそうに火に視線を移した。おしゃべり女と会話をする気などクリムゾンはまったくなかった。だから話しかけてきても最小限の言葉でそれを終わりにしていた。クリムゾンにとってはうっとおしい事この上ない。 だが、火を見ていた女があくびをしたのを見て、クリムゾンはふと思いつく。 「眠いなら寝てていいぞ、どうせ見張りとしてお前はいてもいなくても一緒だ」 そうすればメルーはこちらを値踏みするような目で見てから、皮肉げに唇を歪めて言ってきた。 「あら、見張りが2人づつになってる理由が分からないのかしら?」 「分かってる、だが俺は何もする気はない」 「ふーん、それは本当に信じられる?」 「信じられないならそれでもいい、だがもし俺が何かしてもきっとそこで寝てる誰かが気付くと思うぞ」 言ってクリムゾンは比較的火から遠くで寝ている黒い男を見る。 ――なぁ、最強と言われる貴様が、無防備にぐっすり寝てなどいないだろ? いつでも黒を纏った最強の男、セイネリア。 仕事で組んだ人間が皆――恐れるか褒めるかは違うが――その実力を認める男。最強と呼ばれる噂を聞いてその力を見てやろうと思った矢先、彼は騎士団に入ってしまった。騎士団でもその短い在籍期間で相当派手に暴れたらしく、やはり最強と呼ばれたと聞いてクリムゾンは本人を見るのを楽しみにしていたのだ。 「……そうね、確かに皆、上級冒険者ですものね。なら私は寝てようかしら」 「あぁそうしろ」 どうせ寝てる間に何かをしようとは思っていない。 メルーはそこでまた大あくびをするとさっさと眠ってしまった。この女も何か怪しいところはあるが、今の内は依頼主としてうっとおしくても一応義務として守ってやるつもりはある……少なくとも目的を果たすまでは。 クリムゾンが今回の仕事を受けた理由は最強と呼ばれる男、セイネリアのその実力を確かめるためだった。今までも『最強』なんて御大層な呼び方をされた男を何人か見てきた。だがそのどれもがその名を名乗る資格もない雑魚ばかりで落胆した覚えしかない。 クリムゾンが信じるものはただ一つ、強さだ。 強い者こそが権力を握り、好きな事をする権利がある。 弱い者が何を言ってもそれはただの負け犬の遠吠えに過ぎない。 だからセイネリアという男が本当に最強なのかそれを確認したかった。最強というのなら当然クリムゾンより強く、しかもそれはこちらを圧倒する程のものでなくてはならない。……逆に、最強などと言われておいて自分より弱い者なら目ざわりだ、殺してしまおうと思っていた。 現在のところ、まだあの男の強さは見れていないが、逆を言えば強さを疑うようなところも見てはいない。とはいえ今はまだ樹海に入ったばかりである、これから危険な目に合う事もあるだろう。その時の彼が噂通りの強さを見せてくれるのか……今回の仕事において、クリムゾンの興味はただあの黒い男だけに向いていた。 --------------------------------------------- |