黒 の 主 〜予感の章〜 【10】 思ったように体が動かない――と思ったのはいつぶりだろうか。 大きく息を吸い込んで、セイネリアは自分の体の状態を確認する。喉が痛いというより辛い。空気が通り抜けるのさえ乾き過ぎてひりつく痛みを起こす。肺が悲鳴を上げて熱い息を返す。 だが、それが心地よい。 舌を出して乾ききった唇を湿らせ、息を吐くと共に笑みを作る。 少しの間があれば呼吸はかなり整えられる。まだ心臓が悲鳴を上げるまではきていない。 地面を踏みしめて足の感触を確かめる。まだ足は十分動く、こちらはステバンの方がきついだろう。腕の疲労は同じようなところだろうが、これなら総合的にはこちらの方が動けると見ていいか。 けれどステバンの意地というか勝負への執念をセイネリアは嘗めていなかった。限界だというところから彼はプラスアルファが出来る。あの競技会で勝ったのは自分だが、最後の最後にほぼ意識もなくなったところで彼が出した剣がポイントを取ったのには素直に賞賛しかなかった。 ――俺も、その域まで消耗させてみせろ。 もっと、もっと、もうだめだと思う程の更なる限界を――と考えれば笑みしか湧かない。 地面を蹴って前へと走る。少し遅れてステバンも前へと踏み込む。けれど彼は走るまでは出来ない、その場でこちらの剣を受ける。 「っあぁぁっ」 それを彼は強引に横へ弾いた。いや、一応これも受け流したのだろう。先程までと違ってスマートに行えてはいないが、一応かなりの力を外へ逃がした。足に相当来ている彼は、そうしないと今のこちらの剣の勢いを受けきれなかった筈だ。 互いの剣が大きく外へ弾かれる。 セイネリアは改めて剣を握る手に力を入れた。正直今のは少し危なかった、剣先が外に逃げるのに釣られて剣がすっぽ抜けそうになった。思った以上に握力が落ちていたし手に汗も掻いていたようだ。 意識して右手に力を入れ、逃げた剣先を左手でコントロールして切り返す。それをステバンは剣を立てて受けたが、彼の体はよろけて横へ沈んでいく。そのまま完全に彼がしゃがみこんだから、セイネリアの剣先は上へと逃がされて彼の体の上を空振りした。そこへステバンが立ち上がる勢いを使って、こちらの腹めがけて肩から体当たりを仕掛けてくる。 「ぐっ」 さすがに息が詰まる、セイネリアでさえ2歩程後ろへよろけた。だがステバンもぶつかった衝撃によろけて直後にその場で片膝をついた。だから体勢を立て直したのはセイネリアの方が早い。 ただ思った以上に腕の動きが鈍っていて、剣では遅いと判断したから足で彼を蹴った。どうにか立ち上がったばかりの彼にそれは当たるがクリーンヒットとまではいかない。後ろによろけて数歩下がった彼は、それでも自ら下がる事で衝撃を和らげていた。 追撃を掛けるためにセイネリアは前に行く。 剣を伸ばして突けば、どうにか彼は避けたが腕の追加装備の端に当たってカンと音が鳴る。もう一度突けば、やはり避けるがまた装備には当たって鉄が鉄を叩く音が上がる。今度は先程よりも体の内側に入った分衝撃が来たようで、弾かれてステバンの体が後ろへ押され、彼はよろよろと数歩下がった。 だがそれを見たセイネリアが次の一撃を仕掛けようとすれば、体勢が崩れながらも彼は剣で前面を振り払った。セイネリアはそれを避けて足を止める。これが当たったらまた前と同じだ。 ――さすがに立っているのがやっとか。 ステバンは相当足にきている。剣を受けてももうその場に踏みとどまって受ける事は出来ないだろうと思われた。踏み込んできても避けられたら倒れるしかない、そういう状態と判断していい筈だった。 ただ彼にはここからの何かがある。 なにせ彼の目はまだ諦めていない。意識が朦朧としている様子も見えない、クリアな視線がこちらに向けられている。こんな相手にはまだ勝利を確信してはいけない。 セイネリアは大きく息を吸った。足に力を入れて一歩前に踏み出す、腕に力を入れて剣を振り上げる。もう彼の足はふんばれない、例え受けたとしても勢いに押されて倒れるしかないだろう。 だが、そこで彼の小さな声――ある呟きが聞こえた。 --------------------------------------------- |