黒 の 主 〜騎士団の章・二〜





  【59】



「若い愛人の意識を探っては弄んで破滅させる遊びはそんなに楽しかったのか? 俺の意識は読めなかったから苛ついてたようだが」

 女はそれでこちらを睨むと、立ち上がってガウンを拾い乱暴に羽織った。それから今度は袖を通してきっちり体を隠すと、改めて開き直ったように貴婦人らしくなくどかりと音を立てて椅子に座った。

「えぇ、残念な事に貴方は読めなかったわ。だから遊びは止めてさっさと終わりにしようと思ったのに、まさかこんなにあっさり生きて帰ってくるなんて計算外」

 忌々しそうに女はこちらを睨んでくる。
 セイネリアは見せつけるように笑みを作って女に言う。

「そんな遊びをするためにアルワナに改宗したのか?」
「リパの教えなんて綺麗ごと過ぎて大嫌いだったし、他人の秘密をのぞき見出来るなんて最高ですもの」

 神なんてものを信じないセイネリアでも、その言い方にはさすがにアルワナが気の毒になるくらいだ。使いたい神殿魔法のために改宗するなんてこの国では普通の事とはいえ、大抵は自分が生きていく上でより役立ちそうな術を使える神を選ぶ。この女の場合は暇つぶしの下種な趣味を満足させるためと考えれば呆れるしかない。

「そういえば貴方、花街では有名人だったそうね。だから私がアルワナの信徒だって気付けたのかしら」
「そうでなくてもあんたはリパ信徒として不自然過ぎた。マトモなリパ信徒は聖石をそう簡単に外さないし、外した場合も扱いには相当気を使う。あんたみたいにいい加減な扱いはしないさ。それが聖石ではなくただの石ころでない限りな」

 女はそこで笑い声を上げた。貴婦人らしい抑えた笑い声ではなく、下品に口を開けて笑った。

「そりゃぁただの石ころですもの」
「だろうな」

 改宗するならリパの聖石は神殿に返す必要がある。だから今彼女が付けているのは聖石に見せかけたただのダミーだろう。

「……それで、貴方はどうする気? 夫や親にバラしてやると私を脅すのかしら?」

 完全に開き直った女は偉そうに椅子に座ってこちらを睨んでくる。余裕があるように振る舞ってはいるが、こちらの出方を伺っているというところだ。
 セイネリアはそれには笑顔のまま、当たり前のように答えた。

「まさか、そんな面倒な事はしないさ。あんたの夫にはもう伝えてある」
「な……」

 ハリアット夫人は口を開いたまま止まった。目を大きく見開いて、文字通りその体勢のまま固まっていた。

「だからあんたを脅すのは俺じゃなくあんたの夫だ。いくら旦那が婿養子だと言っても、これからあんたは旦那に頭が上がらなくなる。当然今までのように好き勝手に遊べなくなるな。なにせそんな事をしたら、あんたの親にあんたが勝手にリパ信徒をやめたって事をバラされるんだからな」

 リパ信徒の貴族の場合、神々を束ねる主神の僕という事に誇りがある。いくら可愛い娘とはいっても勝手に他の神に鞍替えしていたとなればただでは済まない。無理矢理でも再改宗させられた上、監視をつけて家に閉じ込められるくらいは覚悟しなくてはならないだろう。

「これからは心を入れ替えて、せいぜい旦那に従順ないい妻になるといい」

――いや、これまでの事があるから、立場が逆転した旦那があんたをどう扱うかは自分の心に聞いてみればわかると思うが。

 そうして未だ放心状態の彼女を部屋に残し、セイネリアはその場を去った。

 ハリアット夫人としては、脅された相手がセイネリアであれば最悪暗殺者でも雇って殺してやればいいと考えていたのだろうが、相手が旦那となればそうはいかない。
 彼女の夫であるエージェイル・ハリアットは貴族騎士のわりにはただの馬鹿ではなく、計算が出来て用心深い。しかも騎士団では重職にあるから不審な死となれば調査が入る。
 とはいえあの女が大人しく従順に過ごせるとは思わないから、少なくともこの後ハリアット家では妻と旦那と妻の親であるハリアット卿との間でちょっとした騒ぎが起こるのは確定だろう。最悪肉親同士の殺し合いになるかもしれないが、そんな事はセイネリアの知った事ではなかった。

 セイネリアはただ、自分をおもちゃにしようとした馬鹿女がいたから乗ったふりをして潰してやっただけである。女がこれからどんな目にあってもそれはただの自業自得で同情の余地などない。たとえ惨めな姿となった女がこちらの所為だと言ってきても、自分の心は少しも痛まないだろうとそれを分かっている。

 だからきっと、自分はやはりどこか人としておかしいのだろうとその程度の自覚はあった。




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