黒 の 主 〜騎士団の章・二〜





  【58】



 高級宿の特別室とはいえ用途が用途であるから設置してあるランプ台はそこまで大型のものではなく、一番明るく設定しても部屋はそこまで明るくならない。
 普段から妖艶と言える美貌を持つ女なら、薄暗い中で見れば更に妖しさを増していっそ化け物じみて見える。若い愛人をとっかえひっかえ破滅させては楽しんでいる女は、愛人たちの若さを吸ってその美貌を維持している化け物だと言ってもいいのかもしれない。

「まずは、無事生きて帰ってきた貴方に乾杯ね」

 ハリアット夫人は微笑んで2つのグラスに酒を注いでいく。注ぎ終わると軽く杯を掲げ、それから血のような紅を引いた唇にグラスの淵を当てた。グラスを傾ければこれもまた血のような色の液体がその赤い唇の中に吸い込まれていく。
 女の唇がグラスから離れる。
 ふぅ、と小さく吐く息と共に唇の端から赤い液体が溢れて、顎まですいと薄紅色の線を作って落ちる。やがてそれは裸の彼女の胸元まで落ち、胸と胸の間に吸い込まれていく。ランプ台の明かりを受けて白く浮かび上がる肌の上に、液体の引いた線だけがてらてらと妖しく光る。
 セイネリアは椅子から立ち上がった。
 手をテーブルにあるグラスに向けて取りにいくようみせかけ、グラスの横を通り過ぎると彼女に手を伸ばしてその顎に触れた。
 そのまま顎を引いて上を向かせる。目と目が合うと、女は満足げに笑みを作って言った。

「そういえば、貴方にご褒美を上げなくてはね。何がいいかしら?」

 体勢的には見上げているくせに見下した目でこちらを見る女は、勿体ぶるように人差し指を唇に当てて考えた様子を見せる。
 セイネリアは何も言わず彼女の顔に顔を下ろしていく。女は目を閉じたが、セイネリアは女の唇ではなくその顎に唇で触れると、そのまま舌を出して顎から唇の端にうっすら残る液体のアトを舐めとった。

「飲みたいなら注いであげたでしょ?」

 言いながら女の手がセイネリアの頭を撫でる。
 セイネリアはそれに何も返さず、今度は肩に掛けただけの彼女のガウンを落すとその肩に口づけた。ガウンの下に何も着ていない女の体が露わになる。薄暗い部屋の中、女の白い肌だけが光を纏って浮かび上がる。それと同時にふわりと、娼婦とは違う高価な香水の匂いが舞った。

「仕方のないコね」

 満足げにそう言いながら、晒された体を隠そうともせず彼女は椅子に深く腰を掛けると足を組んでみせた。セイネリアは無言のまま、今度はその彼女の前に跪いた。それから組んで上になっている彼女の右足の膝にキスをし、そのまま舌を出して彼女の足を下へと辿っていく。そうして彼女の足に手を添えて捧げ持つようにすると、下僕が主へするようにそのつま先にキスをした。
 女の笑い声が響く。
 満足げで、勝ち誇った、妖艶な笑い声が静寂だけの部屋を満たす。

 けれどそこへ、別の笑い声が混じった。

 女はそれに気付いて笑うのを止めた。セイネリアは顔を上げて彼女の顔を見た。
 笑っていたのはセイネリアだった。堪えていた笑い声をやっと出せるとでもいうように楽しそうに、セイネリアは彼女を見て笑っていた。

「……何?」

 そこで初めて、今まで勝ち誇ったような笑みを崩さなかった女の顔に困惑が浮かんだ。思わず足を引こうとした女のその足を掴み、セイネリアは笑い声を収めて彼女を見た。
 見下ろした体勢のまま動揺して焦る女に、見上げる体勢のままセイネリアは見下したような視線を投げる。女は益々焦って足を引いた。

「離しなさいっ、なんなの?」

 だが貴族女の力などセイネリアにとって押さえるのは造作もないことで、もう片方の足で蹴ってきても痛くもなかった。
 セイネリアは女の足を掴んだままその足の裏を自分に向ける。女がそれで顔を顰めた。

「足の裏への刺青は、アルワナ信徒の娼婦ではわりとよくある」

 言えば女は益々顔を顰めてこちらを睨んでくる。

「貴婦人の素足を見せろなんていう奴はまずいないだろうし、あんたの場合都合がいいだろうな」

 セイネリアの目の前、無理矢理こちらに向けた女の足の裏の土踏まずの辺りには小さくだが確かにアルワナの印の刺青があった。
 セイネリアは改めてそれを見てから鼻で笑って、足から手を離してやると立ち上がった。

「知ってるか? アルワナ神官は情報収集のために表向きに娼婦をしている事が多いんだそうだ。だから女を買ったら体にアルワナの印がないか確かめておけとよく言われる」

 アルワナは眠りを司る神である。
 その神殿魔法は眠った者の意識を読む事が出来るのが有名で、神官なら眠っている者を操ったり意識に潜る事も出来ると言う。
 だからアルワナ神官や信徒はそれを隠して娼婦として仕事をし、情報を集めて回っていると言われている。アルワナ神殿はそれを受けて独自の情報網を持っている……と、それはそちらの界隈では割合有名な話ではあった。




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