黒 の 主 〜騎士団の章・二〜





  【57】



 それはあまりに悲しい生き方ではないかとステバンは思う。少なくともステバンは、彼が忌み嫌われるような冷酷非道な人間ではなく……いや、冷酷ではあるのかもしれないがそれは単に判断に情を挟まないだけで、彼が好んで他人を痛めつけたり不幸にする事を喜ぶ人間ではないと知っている。
 彼は、もっと人から評価されるべきだ、と思う。だがそれを彼が望まない。
 けれど彼は、それには苦笑して肩を竦めてみせた。

「いや。不思議なものだが、それでも俺についてくれる奴もいるんだ。昔はいつでも自分一人で何でもやる気だった。……今は、そういう人間がいるだけで俺としては十分だ」

 ステバンは笑った。本当に、心から嬉しくて笑みが沸いた。

「そうか、それなら良かった。君を分かってくれる仲間はちゃんといるんだな」
「まぁな」

 いつでも笑みには皮肉や含みがある彼が、そこで少し呆れたように……けれど嬉しそうに笑った。きっと彼の仲間はとても優秀で、そして彼に信頼されているのだろう。そう考えればなんだか羨ましい気がしたが、この感情はきっと気にしない方がいい。
 彼と、自分は、行く道が違う。
 騎士団という場所から別れたら、おそらく二度と行く道が交わる事はないだろう。だがそれでいい。会わなくてもきっと、彼の話はどこかから聞こえてくるはずだ。

「なら、用件は終わりだ、呼び出して悪かった。……こちらも今度こそ春までには鍛えておく」

 妙に心が晴れやかだったから、ステバンはそう言って片手を上げた。

「楽しみにしてるさ。……あぁ、春になったらすぐ勝負しろとまではいわないが、あまり待たされるのも困る」
「分かってる、当然君だって更に強くなっていそうだし、それ以上待ってもらい続けるとキリがなくなる」
「そういう事だ」

 それで別れを告げようとしたステバンは、だがもう一つだけ残っていた気がかりな事を思い出した。

「だが……そういえば、大丈夫なのか? ハリアット夫人の……つまりハリアット参謀官から目を付けられているんだろ? 今回だけで済まないのでは?」

 それには彼は、実に彼らしく何か含みがありそうな笑みを浮かべた。

「あぁ、そちらも心配ない。もうすぐカタがつく」

 思わず、何をしたんだと聞こうとしたが、聞かない方がいいだろうとステバンは判断した。そうして今度こそ、彼に別れを告げてその場を去る事にした。






 首都騎士団本部参謀部部隊編成長エージェイル・ソルダート・バス・ハリアットは、その日、機嫌が悪かった。
 冬が近づいてくると地方砦で戦闘が起こる事がほぼなくなるため騎士団内の役職持ちは会議と事務仕事が増える。予算や人員配置、訓練計画や派遣要請……その今期結果の発表と来年度の計画を立てるため、冬季入ると完全に仕事は会議とそのための書類作成・整理だけになるのだ。
 彼として頭が痛いのはそうして会議続きだと屋敷へ帰るのが遅くなることで、あの妻はこれ幸いとばかりに愛人共のところへ行くに違いなかった。
 しかも忌々しい事に妻の最近の『お気に入り』だった男は、飛ばしてやったトーラン砦からついこの間無事帰ってきたところだ。トーラン砦の状況は厳しそうであったし、戦死するならするで良し、しなくても暫く首都に帰ってこれないだろう――と思っていたのに、蛮族が攻めてきていた原因を潰して早期に帰還が決まってしまった。

 ただ別に、それ自体は何も悪い事だけではなかった。
 第三予備隊が良い働きをして成果を上げたと言う事は必然的にそれを決めた彼の評価も上がる。あの無能なネイテが役に立ったなんて微塵も思えなかったが、彼が隊長なのだから彼に褒章を出してちょっと褒めておけばいいだけだ。
 
 けれどもエージェイルの思惑が外れてしまった事も確かで、近々、へたをすると今日にでも、首都に帰ってきただろうあの男と妻が会うのは確実だと思えた。また何処かへ飛ばしてやろうと思っても、これから冬が来るところでは戦場へ飛ばしてやる訳にはいかない。
 どうしてくれようと思っていた彼は、そこでノックの音を聞いて書類整理の手を止めた。

「ハリアット様、事務局からの使者が伝言を持ってこられました」
「あぁ、ご苦労。入っていいぞ」

 地位ある者の場合、一々個人宛の伝言を冒険者事務局まで受け取りになど行っていられない。家にいるなら部下に代理証明書を持たせて取りにいかせるしかないが、騎士団にいる場合は頼んでおけば纏めて事務局が持ってきてくれる。忙しいハリアットもそれを利用していた。
 持ってきた部下から折り畳まれた紙を受け取ると、自分の冒険者支援石を出してその紙の上に置き、それで一度紙の表面を軽く擦る。基本的に伝言は他人に見られてはいけないから、畳まれている状況の紙には宛名しか書いてない。少し待てば紙は自動的に広がって、彼は本文よりまず、一行目にあった伝言主の名前を読んで眉を寄せた。

 『伝言主、セイネリア・クロッセス』
 ご丁寧に上級冒険者の印である星のマークまで入っていれば、妻の愛人であるあの男からで確定だった。




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