黒 の 主 〜騎士団の章・一〜





  【38】



「お願いします」

 セイネリアも自分の位置に立てば、彼がそう言って深く頭を下げてくる。セイネリアは軽い礼をすると一言だけ返した。

「全力で勝ちにこい」
「……分かっている」

 声は決して大きくないが強い意志が込められている。兜の中の目はじっとこちらを睨んでいる筈だ。

「それでは、これから剣技の部準決勝、第二試合を始める。まずは、赤、セイネリア・クロッセス――」

 そこで改めて選手名のコールが入った。まずはセイネリアがそれに応えて手を上げる。勿論、ハリアット夫人に向けてはそれだけではなく丁寧にその場で礼をして見せる。そこからこれまでの対戦成績が読み上げられて、今年騎士団に入ったばかりな事、大会自体は初出場である事が告げられ、最後に信奉する神はなし、で締められれば歓声に微妙なざわめきが混じった。
 次は当然ステバンの名がコールされて、今度は彼も手を上げた。人々の歓声が更に膨れ上がる、ステバンの名を連呼する者もいる。その声が大きすぎて彼の対戦成績を読み上げる声は殆ど聞き取れなかったが、かろうじて最後に彼がリパ信徒である事は聞き取れた。

 リパは慈悲と創造の神である。主神であるから貴族なら信徒で当然だが、そうでなくても戦闘職でリパの信徒は真面目で責任感のある真っ当な人間である可能性が高い。いかにも彼のように。

 審判役が手を払うようにして下にに向けた。セイネリアとステバンは共に剣を抜いて構える。そうして、下を指していた手が上げられれば試合が始まる。

「始めっ」

 声と同時にステバンの腰が更に一段下がる。けれどまだ、彼はすぐに向かってはこない。ただ攻撃に出られなくて戸惑っているという感じはない、とにかく集中している。こちらをただひたすらにじっと見て、僅かな隙を見逃すまいとする様子が伺えた。

 それなら誘ってやろうとセイネリアから動く。ゆっくりと腰を落しながら、やはりゆっくりと小さく一歩づつ相手に近づいていく。緊張が高まる、観客さえ声を殺す。セイネリアが三歩目の足をだしたところでステバンが動いた。
 地面を強く蹴って、引き絞られた矢が飛び出すように速く、ステバンが一気に距離を詰めてくる。けれど彼はこちらの直前に来て左足で急ブレーキをかけ、殺したスピードの反動さえも剣速に乗せて胴を叩いて来る。
 だがそれはセイネリアが一歩引いてからぶりとなった。
 とはいえ今のを避けられたのは攻撃箇所が予想出来ていたからだ。こちらを殺す気のない彼ならポイントを取りにくると、それが分かっていなかったら危なかったなとセイネリアは思う。

――面白い。

 少なくとも今の速さはセイネリアの想定外だ。そして勿論、避けられただけでは向うは攻撃を諦めない。
 ステバンは更に身を低くすると同時に一歩踏み込み剣を横に払う。セイネリアはそれも下がって避けるしかない。続いてもう一撃、それも下がる。ステバンが押す展開に歓声が沸く、けれど次の瞬間それは悲鳴に変わった。
 ステバンのその次の攻撃にセイネリアは下がらなかった。剣を立てて受けると同時に押し込んで距離を詰め、彼の体を蹴り飛ばした。前へと攻める勢いと力がこもっていた分、蹴られた衝撃が倍となってステバンを襲う。彼の体は横へと飛ばされ、地面で勢いよく転がった。
 それでも彼は止まった位置ですぐに起き上がろうとした。人々の悲鳴がまた彼を応援する声援となる。ステバン、ステバン、とその名が連呼され、それに押されるように彼の体は立ち上がって構えを取る。

 だがおそらく、ステバン自身にその声は聞こえていないだろう。
 なにせ彼の集中は相当だ。おそらくこちらしか見えていない、聞こえていない。こちらが足を引くその僅かな音は聞こえても、満員の観客の声は聞こえていないに違いない。

 セイネリアの口が我知らずに笑みを作った。
 獣の目とも言われる琥珀の瞳が楽し気に細められる。
 そうしてセイネリアは剣先を下に向けると相手に向けて駆けていく。

 ステバンは構えは取っているが、まだ体にダメージが残っているのは明白だった。足元の力強さが違う、だから反応が僅かに遅れた。
 セイネリアは剣を下から斜め上へと振り上げる。ステバンはそれを剣で受けたが、力と勢いで負けてこちらの剣を止めきれない。剣が上がって脇が開く、殺し合いなら致命的な状況だ、だが彼は――。




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