黒 の 主 〜騎士団の章・一〜 【37】 「あと……これはエフィロット様だけにお話しするのですが、実はあのセイネリアという人物、冒険者時代に大叔父様が盗賊退治で雇われた事があって……」 そこでカリンはわざと、後ろに控えていた侍女――ただの侍女ではなく服装からして護衛でもあるのが分かる――人物を振り返った。その人物は一礼をしてから声を潜めて言ってくる。 「はい、私もグローディ卿の御命令でそれに同行したのですが、本当に化け物のような男でした。盗賊の群れに一人で飛び込むと人を人とも思わないように無造作に次々と殺して行き……全員を殺し終わった後、死体の山に足を掛けて全身血塗れで笑っていたのです」 間違いではないが少々脚色が入っている――脅すためなので勿論それくらいしてもらっても構わないが。とはいえ随分楽しそうだとカリンは侍女役……のレンファンを見る。目があった彼女はエフィロットに見えない角度で軽くウインクをしてきた。 ナスロウ卿となったための事務処理や、貴族からの招待に応えるため、現在ザラッツは頻繁に首都に来ていた。だからカリンがエーレン・スハ・ラッセル・ローグルの名を使う許可を取ってもらうついでに、彼について首都に来ていたレンファンをカリンの侍女役として競技会中の二日間だけ貸してくれないかと頼んだのだ。 流石に貴族の令嬢が一人で観戦などあり得ないし、かといって娼館にいる部下の誰かを連れて来た場合はいくら護衛を兼ねているといっても貴族の侍女として疑われないようなふるまいを求めるのは難しい。 礼に帰りは魔法使いに送らせることを約束すれば、ザラッツは気前よく馬車まで手配してくれた。仕事の内容を聞いたレンファン本人がやけにノリ気だったのは現在の彼女を見ても分かる。 「本当に残虐極まりない、恐ろしい男です。味方ながらついていった者は皆、恐れて声もかけられませんでした」 いかにも震えあがるように腕を抱えて言えば、エフィロットはごくりと喉を鳴らす。彼はずっとセイネリアとは違うブロックで戦っていたからここまでまともにセイネリアの試合を見ていなかった。 ――さぁ、せいぜい怯えて我が主の戦いを見てください。 とりあえずここからは、カリンとレンファンでひたすらこの貴族の馬鹿息子を脅して恐怖心を煽るのが仕事であった。 最終日は2会場を同時に使って試合はしない、魔法ありもなしも剣の試合は同じ一つの会場で行う事になっている――という訳であるから、当然ながら会場はずっと満員御礼状態が続いていた。 剣の魔法なし部門第2試合、会場に入った途端押し寄せる声の波に、バルドーが驚いたようにセイネリアに言ってきた。 「は、すごい人気じゃないか」 「そうだな、前回優勝者が凶悪な新人をやっつけるのが見たい奴が8割、前試合で派手な勝ち方をした新人がより派手な勝ち方をするのが見たい奴が2割ってところか」 「凶悪な新人、か。自分で言ってりゃ世話ないな」 「こういうのはな、悪役の方が何をやってもアリだから楽なんだ」 それには呆れたというよりオカシイ者を見るような視線をくれて、バルドーはため息と共に黙る。剣の試合でも流石に最終日の試合は誰か一人供がついていなくてはならないそうで、彼がついてきてくれたのだ。 「……どちらにしろ、客はこの試合が一番面白くなる事が分かってるのさ」 貴族共の思惑はおいておいてもここまでの試合を見て来た連中なら、剣の部門はこの対戦が一番面白くなる事は分かっているだろう。観戦自体を楽しみたいのならこの試合に期待するのは当然だ。特に、魔法ありの方の試合が観戦側からすれば不完全燃焼で、盛り上がり切れなかったのだから尚更だ。 そこで更に大きな歓声が上がる。勿論、反対側の入場口からステバンが姿を現したからだ。 だが大きな声援に反して、客には愛想が良さそうなステバンが手を振っていない。観客席すら見もしない。せめて昨日エスコートした女にくらいは手を振るところだと思うが、彼は正面、つまりこちら以外に視線を向けようとしなかった。 それだけ今の彼に余裕がないという事だろう。 ――いい感じに追い詰められていそうだな。 よそ見さえせず、真っすぐ前を向いて歩いて来た彼は、自分の開始位置までくると片手を胸で押さえて顔を下に向けた。おそらく、彼はリパ信徒だ。リパの洗礼を受けた者はその個人に合わせた聖石を与えられ、信徒はその石に祈る事で術を使う。聖石は大抵首飾りにして身に付けているから、リパ信徒が祈る時は彼のように胸に手を当てる事になっている。他の神の信徒でも印を首飾りにしてつけるところはあるが、確率で言えば胸に手をあてたらリパの可能性が高い。 --------------------------------------------- |