黒 の 主 〜騎士団の章・一〜 【36】 ステバンは歯を噛みしめる、悔しそうに。握った手が震えて、吐き出すように彼は呟く、すまない、と。 この手の真面目で立派な騎士様である男の考えは読みやすい。彼がセイネリアに話してきたのは本気でただの親切心だ。けれど勝負前に勝てないと決めてしまった自分の事を恥じている。そしてまた本当は……勝ち負け以前に彼は純粋に正々堂々の勝負を楽しみたかった、それも分かっていた。 ならば余計な事を考えず戦えばいい――だからセイネリアはわざと偉そうに彼に言ってやる。 「俺はどんなに偉い貴族の息子でもわざと負けてやるなんて事はしない。だが、あんたが言う通り、あの馬鹿息子が優勝して波風立たずに終わらせる方法はあるだろ」 「それ……は?」 顔を上げたステバンに、セイネリアは笑ってみせる。それも出来るだけ悪人らしく。 「簡単だ、あんたが俺に勝てばいい。死ぬ気で、どんな手を使っても、次の試合であんたが俺を負かして決勝へ進めばいい。そうすればわざと負けるのも、怪我をしたと言って試合を辞退するのもあんたの好きに出来る」 ステバンは目を見開く。けれどすぐに返事は出来ない。 そしてセイネリアも彼の返事を聞く必要はなかった。だから、黙って立ちすくむ彼に背を向けて、セイネリアはその場を去った。 今日は試合と試合の間に時間が多くとられているから、準備の少ない剣の試合なら自分の前後の試合を見る事も可能だった。 ……という訳で、エフィロットは自分の試合が始まるぎりぎりまでカリンの席にいて、試合が終わると即またカリンのところへと戻ってきていた。いくら魔法ありと魔法なしの試合の間は整備が入って時間があるとはいえ、魔法なしの第一試合と魔法ありの決勝の間にわざわざ来たのはカリンもいい加減呆れたが。まぁ優勝報告をして褒められたかったのは分かるから、そこは適度に持ち上げておいた。 「見てくださいましたか? こちらの部門でも当然貴女に優勝を捧げます」 魔法なしの剣の第一試合が終わって一度場外へ出てから急いでやってきたらしい男は、ちょっと息を乱しながらも恰好を付けるのは忘れないのだからご苦労なことだとカリンは思う。 ただ、今日はここからがカリンの仕事の本番ではある。 「はい、やはりエフィロット様はとてもお強かったです」 「それは貴女がいてくれたからですよ」 その言葉に感動するような女の気持ちはまったく分からないが嬉しそうに頬を染めて手を組めば、目の前の男の口元がふにゃりと溶けて恰好つけが台無しになる。とはいえ、そろそろ持ち上げるのもこの辺りまでにするか――とカリンはそこで急に表情を曇らせてみた。 「……ですが、くれぐれも怪我にはお気を付けくださいませ」 「はは、大丈夫ですよ、私は負けないのですから」 「でも……今回は、危険な方が出ていますので……」 「危険?」 丁度そこで会場が沸く、次の試合の選手が入場してきたからだ。 「ほら……今出てきましたあの方、セイネリア・クロッセスという方はとても強くて、相手をわざと痛めつけるような残虐な戦い方をする人物だと聞いておりますわ」 「セイネリア・クロッセス? ……聞いた事もありませんね」 余裕を見せてそういいながらもエフィロットは今入場してきたセイネリアの姿に目をやると暫く黙った。けれども、選手名がコールされてカリンが拍手をすると、こちらを向いて胸を張ってみせた。 「確かに、体はデカくていかにも強そうですが、所詮技術のない能無しでしょう。ここまでこれたのが奇跡、生憎私と戦うところまでこられませんよ」 どうやらまだ本気でそう言っているらしいが、さてそれがいつまで続くかとカリンは思う。もし主が兜を着けていなかったら目があっただけで震えあがっただろうとも。 「そうですか、それなら良いのですが。なにしろ昨日あの方と戦った方々は皆怪我をして試合を辞退する事になってしまったので。聞いた話ですが、クォーデン様は倒れた後暫く動かなくて会場が静まり返ったそうです」 「……クォーデンが、ですか?」 「はい、すごい距離を飛ばされて……中断の旗が上がって神官様方が駆けつけたと」 「そ、そうですか、確かに見た目通り相当の力があるようですね」 話している内にエフィロットの声の調子が変わってくる、笑顔が引きつっていく。思った通りの相手の反応にカリンは心の内で嘲笑う。 ここまで脅せば、後一押し。 --------------------------------------------- |