黒 の 主 〜騎士団の章・一〜





  【12】



 呼び出されて部屋に入った途端、セイネリアはザラッツに向けて丁寧に頭を下げた。

「ナスロウ卿、お久しぶりです」

 それに一瞬立ち上がりそうになってから、ザラッツは気まずそうな顔をして座ったまま返してきた。

「あぁ、お前も元気そうだな」

 言ってから彼はセイネリアを案内してきた者に向けて咳払いをする。さっさと出ていけと言われたのを察したその騎士団兵は急いで頭を下げると部屋を出て行った。
 ドアが閉まって邪魔者がいなくなるとザラッツは大きなため息を付き、セイネリアは喉を鳴らして笑い出した。

「……何がナスロウ卿ですか、貴方に言われるのが一番嫌味に聞こえますね」
「嫌味というより揶揄っていると言う方が近いな。別に馬鹿にする気はないが」

 言いながらセイネリアが椅子に座れば、彼はいかにも疲れたように顔を押さえた。

「分かっていましたが……ここへ来て『ナスロウ卿』と呼ばれるとその度に周囲の視線がきついです」
「それでもわざわざ俺に会いにきた理由は何だ?」

 すると彼は一度背筋を正してから、こちらを見て少しだけ得意そうに言った。

「そうですね、貴方に向けてのちょっとした仕返しです」
「仕返し?」
「はい、ここでのナスロウの名はいい意味でも悪い意味でも特別です。おそらく貴方があの方の従者だった事が噂になっている頃かと思いましたから、ここで名を継いだ私が会えばそれが確定されて疑っていたろう連中も認めざる得なくなる、と思いました」

 彼は仕返し――とは言ったが、それはセイネリアにとって別に都合の悪い事ではない。ただ確定した事で様子見をしていた連中が行動に起こすだろうことは考えられるから……成程、とセイネリアは少し考えてから軽く笑った。

「その提案はもしかしてディエナか?」

 ザラッツは肩を竦めてあっさり認めた。

「えぇ、『貴方にそれだけの責任を負わせたあの男に、ただの騎士団員として大人しく過ごさせてやってはなりません』だそうですよ」

 セイネリアはそれにまた喉を鳴らす。まったく、彼女は度胸の据わったイイ女になったものだと思いながら。
 それにザラッツも笑みを浮かべる。考えればこんな影もなく穏やかに笑う彼の表情は初めて見たかもしれない。

「私がナスロウ卿となったのも、領地など持つことになったのも、有能な部下がたくさん出来たのも……そして、ディエナ様との事も……全部貴方のせいですからね、その仕返しですよ」

 名目は『仕返し』でも、それは彼なりの礼である事は分かっている。ナスロウ家との繋がりを伝える事でセイネリア軽んじられない状況にしておいたという事だろう。

「おそらくこれで……あの方を崇拝する者達と、逆にその名を忘れたかった者達が貴方に接触をしてきたり、いろいろ無茶な命令をしてくる事があるかと思います。ですがそれに対する私のアドバイスなど不要でしょう。心配などしていませんが……もし、私の名を出す事で貴方に益がある時は構わず使ってくださって構いません。そのくらいには私は貴方に感謝していますから」

 言う彼の表情は穏やかに安定していて、声には力強さがあった。さすがにナスロウ卿と呼ばれるようになって彼も覚悟が出来たかと思うところだが――そこはやはりディエナの存在が大きいのだろうとも思う。
 だからセイネリアは、そこで立ち上がると同時に彼に言ってやった。

「あぁ、使える時は有り難く使わせてもらう。……それと、最後に一つだけいいか?」
「なんでしょう?」

 微笑んでいたザラッツは、そこで不思議そうにこちらを見てくる。
 だからセイネリアは、少し意地の悪い笑みで言ってやった。

「妻になる女に様付けはないだろ。それにどう考えても今はお前の方が地位も上だ」

 すると彼は気まずそうに顔を顰めて頭を掻いた。

「分かってはいるのですが……こちらの口調だとどうしても」
「なら常に酒を入れておくといいんじゃないか?」
「どういう嫌味ですかそれは」

 それには返事をする変わりにセイネリアは笑い声を返した。ザラッツもその後仕方なく笑い出す。……その表情を見たところ、少なくとも彼の方は今のところ順調なのだろうと思われた。

 そこでまた多少の会話を交わしたものの、まもなく彼とは別れを告げ、セイネリアは訓練場へと戻る事にした。だが既に、部屋を出てすれ違った人間がこちらを見る目は変わっていた。



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