黒 の 主 〜冒険者の章・八〜 【94】 ディエナはザウラ卿の事がよく分からなかった。本質的にいい人間か、それとも悪い人間なのかも分からない。父を殺した悪人だと思ってここへきた筈なのに今ではそれも分からなくなっていた。 しかも、今日の昼のお茶の席で、いつものように穏やかな顔と声で彼は告げてきたのだ。 『グローディが我がザウラに向けて宣戦布告をしてきました』 ありえる話ではあると聞いてはいたが、当然ディエナは動揺した。けれどそれを見てもザウラ卿はあくまでもいつも通りの穏やかな笑顔で、ディエナは益々彼がどんな人間か分からなくなった。 『ご心配ありません、グローディが攻めてくると言っても貴女の扱いを変える気は私にはありませんから。それに実際戦争になる事もないでしょう。向こうの言い分では私が貴方の御父上を殺したという事ですが――その誤解もすぐに解ける筈です』 今日のお茶の話は挨拶以外はそれだけで、すぐに彼は忙しいからと言って席を立った。その背中に向けて、腹黒ムッツリスケベ、と何度も心で唱えてみたが、それでも迷いは消えなかった。スザーナの時のように言葉は彼女に力をくれなかった。 ディエナはどうすればいいか分からなかった。いや、ここにいて何か出来る事がある筈はないのだが、どんな気持ちでいればいいか分からないのだ。 「グローディがザウラに宣戦布告したそうです」 悩んだ末に部屋に帰ったディエナは未来を見れるというクーア神官のレンファンにまず言ってみた。 「そうですか。……でも貴女が酷い目にあう未来はみえません、ご安心ください。この館にいる使用人達にも戦争を匂わせるものはみえませんから恐らくここが直接攻められることもないでしょう」 「ザウラ卿は戦争になる事はないとおっしゃっていました」 「ならその通りになるのかもしれません」 「お父様の死は……誤解だとおっしゃっていました」 本当にザウラ卿が父を殺したのか、それさえもが今のディエナには分からなかった。 レンファンは暫くじっとディエナを見ていたが、やがて彼女は近づいてくると耳打ちのように小さな声で言ってきた。 「ディエナ様。ディエナ様はザラッツ殿を信じていますか?」 「え……えぇ、それは勿論」 「なら誰よりも彼を一番信じていてください」 その言葉の真意は分からなかったけれど、彼女がいうからには意味がある筈だった。それに……その助言は確かにディエナの中にあった不安を軽くしてくれた。 「はい、分かりました」 ザウラ卿スローデンが何を言おうと、ディエナにとって一番信用すべきはザラッツだと……つまり彼だけは信じていいのだと……それで彼女は笑みを浮かべる事が出来た。 クバンの街はまだ戦争中という空気はなかったが、街に兵士が増えて門での審査が少し厳しくはなっていた。ただ基本前よりも厳しく調べられるのは首都方面……グローディから来ている者ばかりで、スザーナからクバンに入り、そこからザウラ北部の村で商売をしてきたという通行記録があるセイネリア達一行は馬車の中も詳しく確認されずにすんなり街に入れた。……まぁ流石に蛮族達は転送を使ったが。 後はそのままクバンで商売を続けていたガーネッドの仲間と合流して、まずは彼らがクバンで集めた情報を聞く事にする。とはいえ街にいる仲間全員を集めて会議は流石に危険であるから、情報はガーネッドが聞いてまわってきて報告する事になった。 「グローディ軍が動いたそうよ。一昨日シャサバル砦を出るとザウラに入ってすぐ、キオ砦の前で陣をしいたって話」 まず最初に彼女はそこから話を始める。確かに現状、そこは真っ先に報告しておきたいところだろう。 「何故、すぐ攻めない?」 聞いてすぐ、傍にいた黒の部族の男が聞いてきたからセイネリアが答える。 「まずは話し合いだ。グローディ側は、こちらの主張が違うというのなら弁明してみろ、という訳でザウラ側の返答を待っているのさ」 「仲間を殺したなら報復は当然だ、話は聞く必要ない」 「報復が正統なものだと証明できないとあとから問題になる。それに一応友好関係にあった領地同士だからな、出来れば戦争はしたくないという姿勢を見せないとならないというのがある」 「何故だ?」 「上に王がいるからだ。たとえ戦いに勝っても王が勝者の主張を正しくないと判断したり、国を乱す危険な奴と思われたら潰される可能性がある」 蛮族の男は考える。それから彼なりに結論を出して聞いてくる。 「……王が正しくないと言えば、戦って勝っても王から攻撃される、のか?」 「そういうことだ」 実際は王だけでなく周辺領地へのアピールもあるのだが、そこまで話す必要もないだろう。 肯定されたことで小柄な男は満足げに笑う。たしかにこの男は勉強熱心だ。実を言えば、そのおかげでクリュースに入ってからは何でも聞かれてセイネリアとしてはかなり辟易してはいたが。 「話を続けていいかしら?」 そこでガーネッドが聞いてきたからセイネリアは苦笑して、頼む、と返した。 --------------------------------------------- |