黒 の 主 〜冒険者の章・八〜 【70】 「エデンス」 呟くようなエーリジャの声にセイネリアも一度足を止めて彼の視線を追った。 他の者も間もなく足を止め、それぞれ黙って周囲を警戒する。 「……あぁ、確かに人がいるな」 セイネリアと同じくエーリジャの視線を負って『見て』いるエデンスが言えば、更に緊張が高まる。セイネリアにはかろうじて動くものが見える程度だが、確かに谷が終わるあたりの崖の上に何かがいた。 「歩きながら話せ」 セイネリアは言ってエーリジャの背中を軽く叩くと歩きだした。気付いたのが向うに伝わる程度はいいが、ここで行くのを躊躇していれば怪しまれる。 「あ……あぁ、そうだね」 それでエーリジャも歩きだし、他の者も歩きだす。ただし歩く速度は微妙に遅くして。そうすればエデンスが後ろからセイネリアのマントを掴んできた。 「赤い羽根の首飾りはつけてはいない……が、険しい顔付きでまったく友好的ではないな。全部で5人……武装はしてる、攻撃準備まではしちゃいないから即何かしてくるつもりはないかな。こっちの様子を見ているようだが……さてどうする?」 『見』ながら歩くためにこちらにつかまったのだろう彼の言葉に、セイネリアは横にいたエーリジャに聞き返した。 「違う部族同士が出会った場合、挨拶のようなモノをする習慣はあるか?」 そうすればエーリジャだけでなく、他の二人もこぞって言って来た。 「ないです。やるとしたら余程頻繁に交流があるか血の近い部族だけかと」 「戦闘系の部族同士は基本仲が悪いからね」 「5人全員武装しててこっち睨んでるなら向こうだって挨拶する気なんかないでしょ」 だから結論は考えるまでもない。 「なら無視してこのままいくぞ」 ここを通る者を監視しているだけなら、向こうから見て怪しいと思わない限りは攻撃してはこない筈だった。単純に5人という戦力だけなら別に襲ってきてくれても構わないが、今は位置的にこちらが不利だ。上から岩を落とされたりされると面倒な分、余計な戦闘は避けるべきだろう。 了解、とそれぞれの声が返る。セイネリア達はそのまま谷を歩く。 エデンスはまだこちらのマントを掴んでいるから、ずっと向こうの連中を見ているのだろう。ついでに言えばセイネリアの影になることで向こうからエデンスが見ている姿を見られないようにという意図もあるかもしれない。ハタから見れば疲れてセイネリアに捕まって歩いているように見えるだろうから不自然な体勢とはまず見えない。 何かあればエデンスが言ってくる筈であるからセイネリアはそのままあえて向こうを気にせず歩く。とはいえ、まだ距離があるうちは良かったものの彼らがいるだろう真下近くにくればセイネリア以外の者達が次第に早足になってくる。小さな石が転がる音さえびくりとする面々を見れば、さっさと抜けたい彼らの気持ちは分かるもののこれは良くない。 「普通に歩け、そんなにお前たちは俺を抜いて先頭を歩きたいのか?」 笑って言えば、気付いた彼らの足の速度が落ちる。 「……心臓に悪いね」 エーリジャが苦笑する。ネイサーとガーネッドの同意の声が返る。彼らの表情は固いが、無理に笑ってはいた。 ……だが、そこで少し解れた緊張はエデンスの言葉でまたもとに戻る事になる。 「奴らが動いた、谷を下りるみたいだ」 セイネリアは仕方なくわざと大げさにため息をついた。それから気楽そうに聞こえる声で言う。 「なら良かったじゃないか。下りて単に帰るにしても、こっちを見にくるにしても、少なくとも上にいられるよりはいい」 「……あぁ……うん、確かにね」 そう呟いてから、今度はエーリジャがくすくすと笑いだした。更に言うと彼のその笑いは簡単には抜けなくて、そのまま歩きながらも何が楽しいのか笑っていた。だから普段なら放っておくセイネリアでさえ、隣でいつまでも笑っている男に聞いてしまった。 「何がそんなにおかしかったんだ」 「あぁいや……うん、やっぱり君は度胸が据わってるなって思っただけかな」 「今更だな、それでそこまでおかしいのか?」 「そうだね、なんだろな、笑いが止まらないのは緊張の糸が切れたから、かな」 まだ笑っている彼には不気味ささえ感じるくらいだが、これ以上聞いても意味がないだろうとセイネリアは諦めた。それにすぐ、そんな事を気にしている暇もなくなった。 「疑われたかな、奴らこっちにくるみたいだぞ」 エデンスはまだセイネリアのマントを掴んでいた。なら彼のその言葉は『見て』言っているのだろう。 さすがにセイネリアもそこでまた笑って周りを茶化す気はなかった。いや、笑ってはいたがそれはまた別の笑みだ。 「なら丁度いい、軽く締め上げてまず奴らから話を聞こう」 --------------------------------------------- |