黒 の 主 〜冒険者の章・八〜





  【71】



 ザウラ領はグローディ領より更に北であるのもあってか建物は基本防寒対策優先で設計されているようだった。だから部屋には窓が少なく、その分壁に明るい空や森の絵が描いてある事が多いのだが、それらは所詮絵で部屋の中に篭っていると閉塞感が強い。
 だから自然、昼の暖かい時間はディエナの足は外へと向いてしまう。ザウラ卿からも中庭なら好きに出ていいと言われていたため、遠慮なくディエナはその言葉に甘える事にしていた。ここに来たのが寒い時期でなくて本当に良かったと思う。

――とは言っても、外へ出てやれることと言えばお散歩かお茶飲みくらいしかないのだけれど。淑女らしい過ごし方というと他になにがあるのでしょうか。

 幼い兄弟たちが一緒なら庭で鬼ごっこをしていても言い訳が出来るが、さすがに貴族の婚約を控えた歳の女性が侍女達と鬼ごっこをして遊ぶ訳にはいかないだろう。だからここに来てからのディエナの一日は、朝食後に外に出て庭を散歩してそこから昼まで外のテーブルでお茶、昼食後にここの文官にザウラの歴史や風習などを聞いて勉強をした後、午後のお茶の時間にザウラ卿と話して部屋に帰って休憩、それから夕食、湯あみをして就寝――とまるで決められたように同じスケジュールで過ごしていた。

――それでもこれだけはお仕事ですけれど。

 やっと勉強の時間が終わって外に出たディエナは、いつものテーブルの席に座って庭を眺め、心を落ち着かせるために大きく深呼吸をした。そうすればリシェラがテーブルワゴンを引いてきてお茶の準備を始める。レンファンは護衛だから後ろにじっとついているだけで、こちらが話しかけないと人に見られる場所ではまず話しかけてくる事はない。

 午後のお茶の時間は、ザウラ卿と話すという、ディエナにとって一日で一番の大仕事の時間であった。

 ちなみにザウラ卿と会う機会だけでいうなら、昼のお茶の時間だけでなく昼食と夕飯の時間もある。朝食だけは部屋食なので顔を会わせる事はなく、おかげで昼に会った時に朝の挨拶をする事になってしまう。別にそれで嫌味を言われる訳ではないし、ザウラ卿は毎回毎回きちんと笑って挨拶を返してくれるので、『腹黒ムッツリスケベ』と身構えている方としては肩透かしだと思うくらいだったが。
 とはいえそもそも食事時はあまりザウラ卿と多く話す機会がないためそこまで身構える必要はない。特に夕飯は大抵別に客人がいるため、そちらへの挨拶やらがメインでザウラ卿と一対一で話す事はまずなかった。

 だからやはり彼と話す場合の本番は午後のお茶の時間となる訳で――なにせザウラについて勉強をしてきた直後というのもあって、必ず今日は何を教わったか聞かれるためいろいろ気構える必要があった。

 淑女らしい優雅な待ち方というのはどういうものかしら――と姿勢をいろいろ考えていれば、レンファンが僅かに後ろへと動いたのに気づいてディエナは顔を上げた。

「少し遅れました、申し訳ありません」

 紳士然とした優雅なお辞儀と共にやってきたザウラ卿に、ディエナはゆっくりと立ち上がると挨拶を返した。

「いえ、そんな事お気にされないでください。スローデン様は領主としての執務を優先してくださいませ」

 ちなみに『ザウラ卿』ではなく『スローデン様』と呼ぶようにというのは向こうから言われた事である。勿論『腹黒ムッツリスケベ』とこちらが内心で呼んでいる事は知らせていない。

「お気遣い感謝します。折角貴女がいるのですからこの時間だけはきちんと確保しようと思っているのですが、何しろやることが多すぎて」
「それはスローデン様が領主として優秀で、民のために働くよい領主であるという事ではないですか。私の事は本当にお気遣いなく、この庭を眺めていれば時間などすぐに過ぎてしまいます」
「そうですか、そう言って頂ければ嬉しいです。キエナシェールの館の庭はかなり素晴らしいものだと聞いています。それには及ばなくてもこの庭が貴女に気に入っていただけたならなによりです」

――実情を知らなければ謙虚で立派なお方だと思うところですね。

 グローディとザウラの力関係は、古くから領主同士の仲が良かったのもあって対等ではある。とはいえ領主としての力を比べればクバンの街の繁栄と、領内に騎士団支部がある時点でザウラの方が上だろう。それでもこちらを立てて話そうとするのだから相当に出来た人物――と普通なら思うところだ。

「庭なんて優劣を語るものではありません。上か下かなんて単なる好みの問題です。素直にそれぞれの庭の違う良さを楽しめばよいのです。私にとっては珍しい花が多いここの庭はとても楽しいです」

 言えばスローデンはその場で笑って、優雅にお辞儀をしてみせた。

「素晴らしい言葉です、それを堂々と言える貴女を私は尊敬いたします」

 実はちょっとした意地悪心もあって言った言葉であったから、そのザウラ卿の反応に少しばかりディエナは感動してしまった。




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