黒 の 主 〜冒険者の章・八〜





  【65】



 翌日は早い時間というのもあってザウラ兵達が使う食堂の一画で食事を取り、その後はこちらの案内担当だった兵に見送られてセイネリア達は屋敷を出た。時間が時間であるし、そのまますぐ街の外を目指さずに少し市場を見て買い物をしていくくらいは不自然ではないだろう――と市場の近くで馬を一旦止めたセイネリア達だったが、実はこれは最初から予定されていた事でもあった。

「え? 買い物……してきていいワケ?」

 買い物役として指名すれば、ヴィッチェが嬉しそうにそう聞き返してくる。その彼女にセイネリアはメモを見せた。

「あぁ、この店へ行ってこれに書いてある通りに注文をしてきてくれ。あとは好きに他の店を見て回って構わないが……」
「分かってるわよ、夢中になって寄りすぎずに適度に切り上げて帰ってくること、でしょ?」
「そういう事だ」

 そこでヴィッチェと同じ買い物係に指名したエルを見れば、彼は『分かってるよ』というように顔を顰めた。エルはヴィッチェが時間を忘れて買い物に夢中にならないためのお目付け役というところだ。それと――。

「スザーナでいけなかった分、こっちの街で楽しんできてくれ」

 その意味が分かって、エルがケっと言いながらこちらを睨んだ。

「全然自由じゃねーし、時間もなさすぎだろ」
「あら、別に多少ならそっちの買い物にも付き合ってあげるわよ」

 思い切り不機嫌そうに言い返したエルに、ヴィッチェが眉を吊り上げて反論する。いかにも上から目線的な言い方で。

「いーや、絶対そんな時間はなくなると予想するぜ」
「なによっ、それって私が仕事忘れて遊びまくるっていいたいの?」

 ヴィッチェが怒ると、傍にいるネイサーやデルガ、ラッサが宥める。セイネリアはあっさりその様子を無視すると、朝の礼拝の鐘が鳴るのを聞いて二人に告げた。

「時間だ、少しでも長く買い物をしたいならさっさといった方がいいぞ」

 それでヴィッチェの文句はピタリと止まる。

「分かってるわよ、ほら急いで」
「へいへい」

 行く前から疲れた顔をしていたエルは最後に振り向きざま、声に出さずに口の動きだけで捨て台詞を残していった。おぼえてろ、と。







 セイネリアの野郎、ぜってーこれは前回街に行けなかったのを気遣ってなんてこたーねぇ――と、エルは心の中で毒づいた。ただの面倒女のお守りじゃねーかと本来なら思いきり文句を言ってやりたいところだが、声に出したら面倒女が更に面倒な事になるので黙っている……俺は大人だからな、と自分に言い聞かせて。

「やっぱりパハラダに比べるとこっちの賑わいは全然違うわねー、朝でこれなら昼間はいい装備とか買えそうよね、あ〜残念〜」

 朝早くから空いてるような店は食品関連が基本で、あとはいわゆる生活必需品や、冒険者用の店なら消耗品売りの店ばかりである。趣向品や武器防具類、特種な道具などは昼過ぎから始まる店が多いから今はまず開いていない。

「装備ならセニエティで買うのが一番だろ」

 基本的にいいものはまず間違いなく首都に送られる、だからエルは普段地方都市に行っても買うのは食べ物と消耗品くらいで装備品を見ようと思った事はなかった。
 するとヴィッチェは少し得意気な笑みを浮かべてこちらを見ると、違うのよね、と言いながら指を偉そうに左右に振った。

「首都は基本何でもあるけどいいものは高いでしょ。地方都市だとたまにすごい掘り出し物が格安で手にはいったりするのよ」
「へー、そんなもんかね」

 それは本気で知らなかったから、素直にエルは感心する。

「地方にいる腕のいい職人のものだと、その職人本人がやってる店なら首都の半額近いわよ」
「おぉ、そりゃすげぇ」
「戦闘職ならそんなの常識よ」

 益々得意気に胸を張った――張った割りに大した胸じゃないけどな、なんて口に出したら殴られそうな事を考えながら、エルは微妙な顔で相槌を打った。

「うん、まぁ、戦闘職ねぇ……ま、そっかな」

 実をいうと戦闘職と言われるとエルの立場は少々複雑ではある。いや自分では戦闘職扱いでいいし、クリュースの法律的にもアッテラ神官は『戦闘能力のあるもの』として神官の中では守られる対象から除外されるのだが……セイネリアと組んでからは前衛役をすることが少ないため堂々と戦闘職だと言い難い気持ちがあったりする。
 ただ戦闘職云々は別としても、アッテラ神官はごてごての防具はつけず肉体を誇示するのが基本であるから、そもそもエルが装備品を買おうとする事は滅多になかった。だから装備類の相場に疎くても仕方ねぇだろと思うところではある。
 ただ、仕事が終わるたびに装備の買い替えや直しを毎回やっているセイネリアの事を考えれば、確かに出来るだけ安く装備を整える知恵も必要なんだろうというのは分かる。

「いいこと教えてもらったぜ、ありがとな」

 知っていて得する事ではあるので、そこは気分よく礼を言っておく。
 するとヴィッチェは更に機嫌よく笑って言った。

「あら素直ね、感心感心」

 ヴィッチェと面倒を起こしたくなければ褒めておけ、とエルはセイネリアから言われている。だから上機嫌の彼女を見れば『成程なぁ』と今度はあの男に向けて感心してしまった。

「じゃぁこういう店での値引き交渉の仕方も教えてあげるわ!」

 ただ調子に乗られると困るわけで……エルの笑顔がひくりと引きつった。

「いや……それはいいや、今日は時間もねぇしよ」
「大丈夫よ、必要なお使いさえすれば好きに回っていいっていってたじゃない」
「え、いや、でもなぁ」

 それでも上機嫌でどんどん歩いていく彼女を本気で怒って止められる訳がない。仕方なくついていくエルだが――実は意識を彼女だけに向けている訳ではなかった。

――二人ってとこかね。

 セイネリアの予想だと、少なくとも街を出るまでは監視がついている筈だから買い物中は尾行されるだろう――という話だったが、本当にその通りでエルとしてはマジかよと驚くやら呆れるやらといったところだ。まぁそういう監視の目があるからいかにも無邪気に買い物をしているように見えるヴィッチェにこの役を割り当てた訳で、エルはそんな浮かれた彼女に辟易しながらも付き合う役である……演技の必要もなくそのまま過ぎるが。

――しっかしいつもながらあいつはすげぇよな。

 尾行されるというのはここへ来る前からのセイネリアの予想で、だからその為の対策というか準備もきっちりしてある。まったく本当にあいつだけは敵にしたくねぇなと考えつつ、エルは素ではしゃいでいる女戦士を追いかけた。




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