黒 の 主 〜冒険者の章・八〜 【61】 ただ送り届けるだけの役であるセイネリア達護衛に許されたここでの滞在時間は明日の朝まで。朝食後すぐこの屋敷を出て帰る事になっているから、もし何かあるとすれば夜だろう――そう考えたセイネリアは夕食後、剣を振りに外へ出ていいか聞いてみた。 セイネリア達が滞在する場所はディエナ達がいるところとはそもそも建物が違う上にかなり離れている。こっそり彼女に会うという事はまず無理であるからか、許可は案外簡単に下りた。 領主の館の敷地内ではあるものの、従者や兵士が滞在するための別館あるここは庭園という趣はまったくないが一応庭はある。申し訳程度に周囲を囲む植木があってあとはただ土がむき出しなだけだが、これはおそらくちょっとした訓練場でもあるのだろう。 おあつらえ向きに誰もいないそこに出て、セイネリアは剣を振り始めた。外のランプ台に火が灯っているから暗くはあるが完全な暗闇ではなく、少し遠くに見張りがいるからまったく他に誰もいないという訳ではない。 だが、暫く剣を振っていれば見張りが移動して姿を消した。交代かと思ったが、それなら代わりの者と入れ替わってから離れる筈だろう。 ――さて、やっとお出ましか。 セイネリアは構わず剣を振り続けていたが意識は周囲に向けている。人の気配は依然感じないが、背後で小さく砂利が鳴る音がした――勿論、普通ならわかる筈の音ではない。 何事もなかったようにセイネリアは剣を振り上げる。 けれども剣をそのまま前に振り下ろさず、セイネリアは足を引くと体を捩じって背後へと振り向き、その勢いのまま剣で周囲を一薙ぎする。ほとんど音はないが、黒い影が宙を飛んで距離を取った。すぐに今度は刃物の煌めきがセイネリアに向かって飛んでくる。それを剣で叩き落とせば、ナイフを投げると同時に踏み込んできただろう向こうの姿がすぐ近くにまで来ていた。即座に銀の刃が真っすぐこちらへ伸びてくる。 ――速いな。 セイネリアはその刃を剣で受け、そのまま軽く弾いた。 受けた瞬間、相手の位置が思ったよりも近かったから向こうの得物は割合短い。少し長めの短剣といったところか、おそらくは角度的に刃が少し湾曲しているタイプだと思われた。 弾かれた剣を素早く返して二撃目が来る。セイネリアがそれも剣に当てて防げば更に返した刃で三撃目がくる。それも剣で防げば四撃目が来る……が、今度は当てるだけではなく力を入れて押し返すように剣を振りぬけば、向うは体勢を崩して一歩後ろへ引いた。 とはいえ、振りぬけば重い長剣を使っているセイネリアの方が大きい隙が出来る。 当然向うはその隙を狙って前にきたが、セイネリアもそれを承知で剣を振りぬいている。剣は戻す余裕がないが、振り上げた足が男の腹を蹴った。すぐさま男は後ろへ飛んでダメージを軽減する。だから今度はセイネリアが突っ込んでいけば、向こうはまたナイフを投げてきた。 ――戦闘スタイルはカリンに近いな。 護衛として暗殺者を雇う事は珍しくない。出迎えの時にはいなかったと思うが、スローデンの身辺警護として常に傍にいる部下あたりだろうかとセイネリアは予想する。 ナイフを叩き落とした分遅れたのもあって、伸ばされたセイネリアの剣は後ろへ退いてかわされた。だが更に大きく一歩踏み込むと同時に剣を斜めに振り下せば、今度は向こうも逃げる程の余裕はなくそれを剣で受けて逸らそうとする……が、流し切れずに体ごとふっ飛ばされ、横に転がっていった。 セイネリアはあえてそれに追撃を掛けなかった。 相手は転がった勢いで距離を取ってから立ち上がると、セイネリアに向けて構えたまま動きを止めた。 「確かに腕は噂通りだ」 声は当然スローデンのものではなく、聞いた事はない。見えるシルエットからすれば細身で小柄――背はエルくらいでもう少し細い、丁度ボーセリングの犬連中に近い体格だ。おそらくは戦闘スタイルもそっちに近いと考えていいだろう。顔は上手く影に入るようにしているから見えないが、髪色は近づいた時に少しも光を反射していなかったから黒かそれに近い暗い色であると予想出来る。言葉の発音に独特の濁りがあるから、蛮族出身者の可能性は高い。 「なんだ、一人で剣を振っているだけでは面白くないだろうと思って相手をしに来てくれたのか?」 子馬鹿にしたように言えば、相手の気配も笑ったように感じた。 「……おまけに肝が据わってる、いい戦士だな」 --------------------------------------------- |