黒 の 主 〜冒険者の章・八〜





  【60】



「ザウラ卿なのですが……あの男、何て呼べば良いと思います?」

 歓迎のお茶会が終わって部屋に入った途端言われたディエナの言葉に、レンファンはすぐには返事が出来なかった。

「…………それは、ザウラ卿か、スローデン様、ではないでしょうか?」

 だから考えた末そうとしか返せなかったのだが、ディエナはそれでちょっと拗ねたように眉を寄せた。

「違います、実際に呼ぶほうではなくて心の中で呼ぶ名前です。スザーナ卿はクソジジイでしたから、そういう呼び方を一緒に考えて貰いたいのです」

 それでレンファンも理解出来た。更にいえば彼女がその後考え込んで『彼に今会えればまたいい呼び方を教えてもらえたのに』なんて呟いていたのを聞けば、その『彼』がセイネリアで、クソジジイという呼び方はあの男がこの御令嬢に教えたのだというのまで予想出来る。
 真剣に悩むディエナを見てレンファンはくすりと笑うと、自分も一緒に考える事にした。

「そうですね、その手の言い方で定番と言えばあとは狸オヤジとかですが……」
「ザウラ卿はオヤジというには若すぎてあまりイメージが合いませんね」
「ジジイやオヤジではないとなると、野郎でしょうか」
「狸野郎……響きが今一つピンときません、ザウラ卿自身が狸というイメージにも重なりませんし、どちらかというとキツネのほうがまだ」
「ではキツネ野郎ですか」
「……なんだか響きが可愛い気がして嫌です」

 こんな事を真剣に悩んで議論しているのには呆れてしまうが、逆にこの状況でこんな事を考えていられるだけの余裕があるというのはすごい事だろう。このお嬢様は思った以上に大物らしいとレンファンも彼女に対しての認識を新たにする。スザーナ卿はあまりにも小者過ぎたからとそこまで彼女を評価していなかったが、少なくとも度胸だけは並外れていると思っていいだろう。

「ならば、腹黒はどうでしょう?」

 そこで後ろで聞いていただけのリシェラが控えめに言ってくれば、ディエナは表情を輝かせて自分の元からの侍女の手を取った。

「それです、まさにあの方のイメージ通りです! ありがとうリシェラ!」

 レンファンもそれには同意する。一見紳士にみえるが一言一言に裏がありそうなあの話し方は確かに腹黒だろう。というか、あのセイネリアがキレ者だと認めている時点で相当に腹は黒いだろうと思うところだ。

「ただ……腹黒だけだと少々面白くありませんね、その後に何かつけたいところです。野郎、は何かあっさりしすぎて……」

 そこで考え込んだディエナに、褒められて気が大きくなったのかリシェラがまた言ってくる。

「あの……あの方ですが、お嬢様のような歳の離れた女性と婚約したいなど、あの澄ました外見と違って実は相当に好きものなのではないかと思うのです。そういう殿方を世間ではムッツリスケベと言うのですが……」
「すごいわリシェラ、それよ、ムッツリスケベ!」

 さすがにそれにはレンファンはちょっとその場で吹き出しそうになった。

「腹黒ムッツリスケベ……ちょっと長過ぎますがなんだかすごく良い響きです。あの方にどれだけプレッシャーを掛けられても、腹黒ムッツスケベと思えば怖くなくなる気がします」

 元が真面目で上品な分、大真面目にそう言っているディエナの言葉には笑ってしまって、けれどそれもまた彼女が立ち向かうべき相手に対して気持ちを保つための方法と思えば微笑ましい。だから瞳を輝かせてこちらを見たディエナに、レンファンは笑って答えた。

「レンファンはどう思います?!」
「はい、腹黒ムッツリスケベ、ぴったりだと思います」

 恭しくお辞儀までして言えば、ディエナは嬉しそうに『腹黒ムッツリスケベ、腹黒ムッツリスケベ……』と何度も唱えながら部屋の中を見て回りだした。

 お茶会の席では後ろに控えていたレンファンだが、実を言えばディエナが終始考え事をしているようで表情が硬いのは気になっていて――もしかしたらその原因は、ザウラ卿を何と呼ぶかとずっと考えていたのかもしれない、と今は思う。
 ザウラ卿の印象は思った通り、表面上は完璧に紳士然として文句のいいようのない好青年に見えたが、ただの雑談のようでいて遠回しに探るような会話が多く、その柔和な表情に不気味さを感じた。なにより予知能力のあるレンファンからすれば、未来を見ようとしてもなかなかハッキリとしたもの見えず、見えても次の瞬間には違うものが見えるという――これはセイネリアもそういう時があるが、ちょっとした選択一つで未来が大きく変わるような人物である事を示している。あの男(セイネリア)が警戒するだけの人物ではあるのだろうとレンファンも思った。

――だが、腹黒ムッツリスケベか。

 あのいかにもデキそうな男をそう呼ぶのは気の毒な気さえするが、若いディエナならそれくらいのつもりで相手を見ていた方が気圧されずに済むのだろう。16歳の少女があの男の相手をするのは荷が重すぎるのではと思っていたが、これは思ったよりもいい方向へいくかもしれない。
 なにせレンファンでさえ『腹黒ムッツリスケベ』という言葉だけで、なんだかこの状況が楽しくなってきてしまったのだから。




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