黒 の 主 〜冒険者の章・八〜





  【46】



 使節としてきている以上、弟達のようにディエナが遊ぶわけにいかないのは当然なのだが、それでも彼女は少しだけ現状が楽しくなってきていた。

「グローディ側では、盗賊どもに対してどのような対策をとってるのですかな?」

 明らかに嫌味を言うための前置きのようなスザーナ卿の言葉に、ディエナはゆったりとソファに座って茶を持ったまま優雅に答えた。

「申し訳ございませんが、私は具体的な事はなにも。ただ、責任者であるザラッツはとても優秀で、つい最近もかなりの盗賊を捕まえたと聞いています」

 あくまでも笑顔で、余裕をもって、堂々と。たとえ言い間違えても気にしなくていい、いっそ間違いこそが正しいのだというくらいで、相手を見下すくらいの態度で――なんというかそれだけ聞くと酷い高慢人物像なのだが、交渉というのは弱気になれば負けだとセイネリアという男は言っていた。勿論相手によっては下手に出る方がいい場合もあると言った上で『あのクソジジイは上に出てやれば勝手に下に落ちていくタイプ』だそうだからどんどん押してやればいい、という事らしい。

「その捕まえた盗賊はどうされたか、聞いていますかな?」
「いえ、そこはすべてザラッツに任せていますので」
「ならつまり、貴女は今回の交渉に当たってその辺りをまるで聞いてこなかったという事ですかな?」

 ディエナでもこの言い方の意図は理解できる。つまり向こうは『勉強もしてこなかったのか無知な小娘め』とこちらの上に出ようとしている訳である。
 だが、こういう場合の返し方というのも、ちゃんとあの男から聞いていた。

「はい、そもそもそんな事、私が知っている必要があるのでしょうか? 私の仕事は盗賊討伐を行うための環境を整えることであって、討伐自体を実行する事ではありません」

 暗に『無知な小娘め』という言葉を掛けられたら『そんな事を知っている意味があるのか』と開き直ればいいらしい。言われた時はそんな態度は相手を怒らせて逆効果ではないのかと思ったが、確かにスザーナ卿は顔をひきつらせたものの、それ以上何も言えずあきらかに言葉に窮している。

――まったく、本当に嫌味なただのクソジジイですね。

 クソジジイ、クソジジイ……心で唱えていれば、どんな嫌味を言われても笑って返せる。この手の神経質な人間には無神経といえるくらいの振る舞いをしたほうが優位に立てる、といわれた意味がこうして話せば分かってくる。

 だからディエナはにっこりと満面の笑みで、笑みを維持しきれなくなっているクソジジイに言った。

「ですから私は、盗賊討伐を行う我が領の兵のために、こうしてスザーナ側でも盗賊退治に力を入れてくださるようにお願いにきたのです。我が領とスザーナの両方で討伐に力を入れれば、盗賊達も逃げ場を失って根絶させる事も可能となるでしょう」

 盗賊討伐に力を入れよう、なんて口約束みたいな誓約書に強制力はない。別に約束だけで実際討伐のために何もしていなくても、その余裕がなかった、の一言で済む程度のモノである。だから普通ならどう考えてもそんな誓約書にサインを渋る理由はない。拒否をするなら当然理由を言わねばならない訳で、その理由を領主として言える筈がないのだから向こうは困るしかない。
 だからこちらはいつもで優位に構えていい――確かに嫌味なクソジジイを追い詰めるだけでいい、と思えばこの交渉は楽しいかもしれない、とディエナは思うようになっていた。






「本当にディエナ様は堂々としていらして、スザーナ卿相手に一歩も引かれる事ないお姿に感激しました。しかもザラッツ様へのあの信頼……私は貴女にお仕え出来た事を誇りに思います」

 夜になってディエナの部屋に集まり、それぞれの今日の報告する――となったところで、まずレッキオが感極まった声でそう言った。
 とりあえずディエナは上手くやったらしい、とそれでセイネリアも分かったが、レッキオの事を本当に単純な男だと呆れもする。扱い易いし信用が出来るからこちらとしてはいいのだが、この人物を使う側のザラッツとしては馬鹿正直すぎて使いどころが限られるだろうなと思うところだ。

「ですがまだサインは頂けておりません。各部門の責任者達から承認を得てから、という事だそうです」
「明らかな時間稼ぎだ」
「……はい、そうでしょうね」

 セイネリアの呟きににこりと笑ってそう答えてきたあたり、彼女はスザーナ領主との交渉に自信を持っているように見える。あのクソジジイより彼女の方が精神的に上でいることにはまず成功していると思って良さそうだった。

「クソジジイが迷っている様子はあったか?」
「迷っている、というよりも予定通りに行かず苛立っている、という様子の方が近いと思います」

 ならば多分、少なくともザウラ側からあのクソジイに現状使えるようないい指示も助言も来ていないと思っていい。あのジジイがグローディ側の使節が来る事に関してザウラに相談していない筈はない。それに対して指示が来ていないか、もしくは指示の通りにしようとしたら思った以上にディエナが手ごわくて苛立っているかのどちらかだろう。

「実をいうとここでのんびりジジイ虐めをしている訳にもいかない事態になっててな、さっさとカタを付けたいところなんだが」
「難しいですね、向こうは時間稼ぎをしようとしています」
「時間稼ぎをしている内に、こちらが帰らなくてはならない事態になるのを狙ってるんだろ」

 そこまで聞けば、勘が良ければ聞き返してくる筈……とセイネリアがディエナを見れば、彼女は眉を寄せて少し考えた後、心配そうに聞いてくる。

「何か、起こるのですか? 直接、グローディの災いとなることが?」

 そこまで頭が回ればこの後の交渉も大丈夫だろうと、セイネリアは改めて椅子に深く座ると説明を始めた。




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