黒 の 主 〜冒険者の章・八〜





  【44】



 さて、面白い事になったものだ、とエーリジャは思った。

「で、どんな感じかね?」
「特に問題は起こってないよ。まだ移動も必要ない」
「そうかい」

 隣にいるクーア神官にそう言えば、彼は背伸びをしてから目を瞑る。それをちらと見て苦笑してから、エーリジャはまた視線をカリン達一行に戻した。

 スザーナ領主の娘を外に連れて行きたい、という事で先に買い物に出かけたカリン達のところまで彼女をエスコートする事になったエーリジャとエデンスだが、さすがにそのまま傍に一緒にいるのは既に護衛役としてついているデルガとラッサも含めると大所帯になって目立ち過ぎる。だから二人は遠くから見て護衛をする事になった。
 ちなみにここは露店街の一角にある建物の屋根の上である。なにせ気楽に転送が使えるから、エーリジャが目視できる範囲からカリン達が離れ過ぎたら他の屋根の上に移動すればいいだけだ。
 だから基本的にエデンスは移動の時と……万が一、カリン達が敵に囲まれて逃げようもなくなった時にスオートとアンライヤを助けにいく以外ではこうして横で休憩している。

「あれ?」

 視界の先で、カリン達に話しかけてきた冒険者らしき者達の姿にエーリジャは思わず声を出した。

「何かあったか?」
「いや……まだ分からないかな」

 あまりガラは良くなさそうだが、極力騒ぎは起こしたくないからまずは様子を見る。どうやら彼らはカリン達を揶揄っているようで、スオートがアンライヤの前に出て何か言い合っているようだ。

――お姫様を守る騎士様のつもりかな、可愛いなぁ。

 その様が想像出来て、心配より先にそう思って口元が歪む。スオートは貴族でもとてもいい子だとエーリジャは思う。いつも妹の面倒をみてやっていて、元気がない母や姉に気遣って無理に元気に振る舞って見せている。その健気な様子についつい息子がいるエーリジャが感情移入してしまうのは仕方ない。

「どれ……どの辺だ?」

 エデンスが気になったらしく聞いてきたから、エーリジャは指さして彼らの居場所を教えた。

「あそこの赤い屋根の下にある露店の前」
「あー……成程、でもまぁ……心配する程じゃなさそうだけどな」
「だよねー」

 確かにカリン達一行を揶揄ってはいるもののどうみても雑魚で、デルガとラッサでも勝てるだろうし、カリン一人でもどうにか出来そうな程度の連中だ。しかも彼らは揶揄うのかナンパが目的なのか、話しかけてくるだけで暴力に出てきそうな気配もなかった。

――こっちは緊急事態用だからね、これは向うに任せて大丈夫かな。

 そう思って、一応弓の準備はしているものの出番はなさそうだと一旦は判断したエーリジャだったが、傍観モードでのんびり見ている矢先、今度は本気で緊急事態が起こった。

「あ、まずい」

 と声に出したのはエーリジャとエデンスがほぼ同時で、言った途端エデンスが立ち上がろうとしたからエーリジャは彼を手で止めた。

「ちょっと待って」

 どうやら市場にいた牛が逃げ出したらしく露店街を走ってくる。このままだとカリン達も巻き込まれる可能性が高い。ただすぐにエーリジャは自分が今回スザーナへ行く道中用に用意していたものを思い出してそれを手に取った。







 スザーナ領主には3人の子供がいるが女子はアンライヤ一人だけで、更に言えば母親に似て容姿もよかったのもあってあのへんくつな父親からも可愛がられた。まぁ父親の場合可愛がっていた理由が『これだけ見目がいいならいいところへ嫁に出せる』という打算のせいだったのには最近気がついたが。

 それでも領主の娘としてはそれが一番重要な役目であるという事は分かっていたから、アンライヤも今更それを嘆いたりはしなかった。実際、婚約が決まって大喜びの父親を見るのは嬉しかったし、そのせいで更に父が自分に対して甘くなって多少のわがままを通してくれるようになったから、アンライヤとしても割り切って、正式に結婚するまでの短い機会に出来るだけやりたいことをやろうと思っていた。

 そんな時だったからこそ、グローディからきた使節のお付きの少女と知り合って、外に出してくれると言われ……思い切ってアンライヤはそれに乗ってしまったのだ。

 いつも上から見下ろしているだけの街の中を歩いているのはとても嬉しくて、新鮮で、刺激的で。見つからないだろうかというドキドキもあったけれど初めての体験ばかりで楽しくて仕方なかった。
 侍女以外に歳の近い女友達もいなかったアンライヤにとっては、妹のような歳のグローディの侍女見習いの少女達とのやりとりも楽しかったし、行ったことのない他領の話を聞けるのも楽しかった。しかも最初に自分に声を掛けてきたこの少女の方は、やはり館育ちの自分とは違って年下なのにしっかりしていて少しだけ頼もしかった。



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