黒 の 主 〜冒険者の章・八〜





  【138】



「仕える主としてもあの騎士様なら悪くないだろ。少々頼りないが、だからこそ能力を見せて信頼されれば重用してもらえるぞ」

 それには顔を上げたネイサーが笑みを浮かべてまた大きく頷いた。この男は基本目立たないようにしているが、アジェリアンがいない今は残った連中の中での発言力が割合大きい。だから彼にはわざわざザラッツとのやりとりを見せておいたのだ。
 ただネイサーはともかく、それですっかり笑顔になっているヴィッチェには釘を刺しておく事にした。

「いいか、言っておくがだからといって手柄をたてろという話じゃないからな。ちゃんと与えられた立場で信用を作って地固めをしておけという話だ」
「分かってるわよっ」

 いつもの調子を取り戻してこちらを睨んでくる彼女に肩を竦めてやる。
 彼女は唇を尖らせていたが、それも少しの間だけでまたすぐ笑いだした。セイネリアもそれには笑みを返してやる。

「お前達が納得したんならそれで他の連中も説得しておけ。見たところデルガとラッサは割合ノリ気なようだから問題ないだろ」
「うん、多分ね。クトゥローフは分からないけど」
「雇う側はアッテラ神官ならそれだけで歓迎だろうがな」
「そうね、歩き回らずに座って、偉そうに指示しながら術使ってくれればいいっていったら来るかも」

 ヴィッチェが言いながら声を出して笑えば、それを見てネイサーも嬉しそうに目を細める。それから二人はまた礼を言うと、気合を入れた顔で大部屋にいるだろうデルガとラッサのもとに向かった。

――これでアジェリアンに義理を果たしてやった事になるか。

 いやそれよりも彼の場合は逆に恩を感じてくれそうだが。恩を売るだけの価値ある男だからそれはそれでセイネリアにとってはメリットだ。

 ともかく、これでアジェリアンも残されたメンバーの事を気に掛けずに済むし、ザラッツも信用出来る部下が手に入る。レンファンは考えていたがディエナにお願いされて了承したようだし、ガーネッドは仲間込みでと言われて喜んで了承していた。セイネリアとエーリジャの身代わりをやった二人は自らザラッツに仕えさせてくれと頼み込んだしで、これだけいればあの騎士様もどうにかグローディでの役目を放り投げずにナスロウ卿として動けるだろうとセイネリアは思う。

 ただ首都に帰ったら、セイネリアはナスロウ卿の屋敷の使用人達に会いに行って彼らに説明をするという仕事が出来た。実際のナスロウ卿の引継ぎに関しての手続きはセイネリアではなく執事にやらせる事になるだろうし、会わずに任せるのは流石に無責任だろう。

 そもそも代理後継者というのは戦場で当主が亡くなる時、部下や傍にいた者に後継者を指名する権利を与える為の制度で、基本的にはその場で当主から次期当主の名を聞いてそれを指名するものだった。だから当主の指名書一つで簡単に決められる上に身分やらの制限がなく、それを悪用して最近では金に困った貴族が爵位を売るのにも使われている。
 そういう訳で代理後継者は貴族でない場合の方が多いため、実際の指名時にもその代理後継者が直接貴族院へ行って各種手続きをしてくる事は自分自身を指名する時以外はまずない。
 家の格にもよるが、指名された新当主本人と、前当主の直下の部下や使用人、もしくは親類縁者が付き添いとなって貴族院へ登録に行くのが通例となっていた。

 まぁこれも貴族達の選民意識という奴のせいではある。貴族でもなく、部下としての礼儀も備えていない者は貴族院にまで入れたくないという事なのだろう。

――どちらにしろ、一度ザラッツを向うに連れていく必要はあるだろうな。

 彼の事であるから前ナスロウ卿に仕えていた面々をないがしろにする事はないだろうが、正式登録前に一度も会う事なく彼らの処遇を全て決めるのは互いに問題がある。彼を前ナスロウ卿の屋敷まで連れて行って使用人達に紹介するところまでは、代理後継者を引き受けたセイネリアの仕事として仕方ない。

 仕事を終えた後にもまだ一仕事あると考えれば面倒ではあるが、これであのジジイから託された一番の重荷を下せるのだからいいとするしかない――建物へ戻って、そう考えながら廊下を歩いていたセイネリアは、だが途中でまるで待っていたようにこちらに近づいて来る相手を見て足を止めた。

「何か用か?」

 聞けばレンファンが苦笑して肩を竦めた。

「いや、用という程ではないが……私は一緒に首都に帰らない事になったからな、最後に礼を言っておこうかと思っただけだ」
「特に礼を言われる覚えはないが」
「そうだな、お前自身はそうなんだろうな……だが、私はお前のおかげで自分に自信が持てた、それだけは礼を言っておく。がっかりした父も母も、ナスロウ夫人の相談役兼護衛なんて言ったら手のひらを返してくれそうだ」

 それを本当に嬉しそうに言っていたから、セイネリアは軽く唇に笑みを作る。

「あんたが自分の納得出来る道をみつけたのならよかったさ」

 今回の件で、ナスロウ卿となるザラッツに王から直で褒美が贈られる事となったから、ナスロウ卿としての正式登録の手続き後、王宮で簡易ではあるが叙勲式が行われる事になっていた。その時にどうせ首都へ行くことになるからと、今回の報酬の受け取りも、宿から私物を引き取ってくるのもその時でいいとして一緒に首都へ帰らない……と昨夜セイネリアは彼女から聞いていた。

「そうだな、納得というか……とても満足している」

 レンファンは自分の能力を諦めずに活用しようと足掻いた。そういう人間をセイネリアは好ましく思う。彼女が満足する程の何かを勝ち取ったというのなら、それは世の中として正しいものだろう。

 確かに言葉通り満足げな笑みを浮かべる彼女には少しだけ胸にちりちりとしたわだかまりが残りはするが。ただこれは彼女の満足を馬鹿にする意味ではなく、彼女のような満足感を自分が得た事がないという事に対する憤りに近い……もしかしたら嫉妬のようなものなのかもしれない。

 レンファンが笑いながら近づいてくる。その手がこちらの頬に触れてきたから、セイネリアは軽く背を曲げた。レンファンの顔が近づいてくる……が、その前に別の気配を感じてセイネリアは苦笑すると共に顔を上げた。

「あ〜ら色男さん、手が早いわね」

 こちらを見て腕を組んでいるガーネッドにレンファンが吹き出す。そこからクスクスと笑い出すと、彼女はこちらの胸をぽんと押して体を離した。

「そういえば、今日はこれからカリンに暗殺者対策について教えてもらう事になっていたんだ」

 言ってまだクスクスと笑いながらも手を振ってレンファンは歩いていく。
 彼女の背が廊下を曲がって姿が見えなくなってから、セイネリアはガーネッドに向き直った。

「で、お前の用事はなんだ?」

 言えばガーネッドは大きくため息をついて見せて、それからこちらに向かって歩いてくる。

「そうね、一応お礼をしておこうかと思って」

 言いながら彼女は見せつけるように笑みを作ってセイネリアの腕を掴んだ。




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