黒 の 主 〜冒険者の章・八〜





  【139】



 首を左右にまげてパキパキと鳴る音を聞いてから、エルは長棒を構えてゆっくり息を吐いて腰を落した。そこから息を吸って棒を突き出すと同時に一歩踏み込み、一度棒をくるりと回してからまた突きを数度繰り出す。

――こんな攻撃じゃ当たらねぇ、あいつなら軽く避ける。

 そして数度目の突きを避けると同時に踏み込んでくる。それをかわす為にエルは長棒を回しながら下がるしかない。けれどその棒も力で弾かれてこちらの動きを止めてくる。なら弾かれた棒をそのまま回して反対側の先端を彼に向けて――だがそれは失敗する、こちらが攻撃する時にはもう相手はこちらの懐に入っている。

「あー……ったくクソ馬鹿力の上に速ぇってどんだけインチキなんだよ」

 いない相手を想定してイメージで戦う場合、その相手は大抵セイネリアだ。自分より弱い相手を想定した訓練なんて意味はないから強い者を相手に据えるのは当然だが……それにしてもイメージでさえ勝てる気が少しもしないのだからムカつく。

 首都に帰る日の朝、エルは久しぶりに早朝に起きて朝の鍛錬をしていた。
 最近仕事のせいでサボりがちだったし、もう仕事として気を張る必要もないからと軽く体の調子を見ていた訳だが……実はもう一つ目的があった。

「足払ったくらいじゃびくともしねぇしな、ったく化け物だからなぁあいつは」

 と、言ってから笑い声が聞こえて、エルは溜息をつきながら振り向いた。
 笑っていた相手は、それを見ると軽く手を上げてみせる。エルは思わず舌打ちした。

「よく寝坊しなかったな、昨夜は女関係で忙しかったみたいなのによ」
「女相手はここより首都に帰ってからの方が忙しい」

 エルは顔を引き攣らせる。この男の場合ただの性欲処理のためだけではないとはいえ、娼婦街での武勇伝がヤバ過ぎて冗談に聞こえない。……いや、恐らく冗談じゃないのだろうが、そこが一番ヤバイ。

「エル」
「あんだよっ」

 セイネリアの余裕のありざまにむかついて思わず怒鳴り返す。

「俺を本気で転ばせたいなら、もっと全力で足を攻撃してこい。こっちに怪我させないようにとか考えて加減するから痛くないんだ」

 あーはいはい分かってますよ――エルは唇をピクピクと震わせた。確かにエルは彼と手合わせをする時、彼に大怪我をさせそうな程の思い切った攻撃はしたことがなかった。

「しっかたねーだろ、お前が暫く使えなくなったりした日には仕事仲間としてこっちが困るんだからよ」
「お前が治してくれればいいだろ」
「ばぁっか、かすり傷くらいならいいが手合わせ程度で一々骨折治療とかになったらやってられっかよ。こっちはリパ神官様みたくさくっと治せねーんだぞっ。っていうかお前だって全力でこっち攻撃してこねーだろうがっ」
「当然だろ、俺の場合全力で攻撃しなくても勝てる」
「うっわ、くっそムカつく男だなてめーは本当に」

 セイネリアは笑いながら近づいてくる。傍まできてから手を上げたから、エルは思い切りその手の平を叩いてやった。パシンと相当にいい音が鳴るが、その手はまったく動かなかった。

「俺がいない間、面倒な役をやらせて悪かったな」

 けっ、と思いつつもその言葉にはエルの口元が歪みそうになる。
 まったく、横暴でどこまでも自分勝手な男に見えるくせして、ちゃんと面倒事を押し付けた時はフォローしてくるからこの男はとことんずる賢いとエルはいつも思うのだ。

 とはいえ目的が果たせたのもあって、エルとしては安堵もしていた。
 実はエルが早起きして朝の鍛錬に出てきたのも、恐らくセイネリアが起きて来て鍛錬をするんじゃないかと思ったからだったりする。なんというか、今回は人が多くて彼とあまりゆっくり話をする暇がなかったから、いろいろあった事の報告なり彼が何をしていたのかなり、もうちょっと話をしたいと思っていたのだ。

「あーもーむっちゃくちゃ面倒だったぜ。お前いっつも一番面倒臭い役ばっか俺に押し付けてっだろ」

 とはいえ実際話し始めるととりあえず文句ばかりいいたくなるのは、彼のあまりにも余裕綽々という態度のせいだ。

「それだけ信頼してると思ってくれ」
「へいへい、そう思っておいてやるよ」
「拗ねるな、ちゃんと分け前に色をつけてやる」

 そういうやりとりも何度やったことか。ただ気前がいいのは彼の良いところではあるが、今回ばかりは流石に喜んでそれは受けられなかった。

「いーよっ、そっちからすりゃこっちの仕事は平和なモンだったしな。それより気前がいいのはいいけどお前の取る分はきっちり取れよ。どう考えてもお前がいないと成立しない仕事なんだからよ、とりあえず半分はお前が貰っても誰も文句いわねーと思うぞ。馬鹿みたいに経費掛けてやがるんだし」

 エルに比べてこの男の場合は装備の修理やらで金が掛かる。その上高価な魔法アイテム代を仕事の為に私費でぽんと出しているのだから、エルとしてはこの男がそれなりに貰ってくれないと困るというものだ。

「俺はまぁ、今回の仕事は金以外にいろいろ得るモノがあったから赤字にならなきゃそれでいいさ。それに当分は金を使う暇もないだろうしな」
「……どういう意味だ」

 拗ねた顔を見られたくなくてちょっと他所を向いていたエルは、思わず彼を振り返った、のだが。
 エルが彼の顔を見れば、セイネリアはなんだか全然違う方向を向いていた。
 その視線を辿ってエルも顔を向けて……そこでセイネリアがそちらを見ていた理由を理解する。

「どうした?」

 駆け寄ってくる一つの小さい影と、その後ろからくるもう一つの影にセイネリアが声を掛ける。エルはため息をついて一歩後ろに下がった。ここは譲らないとならないところだろう。

「あ、あのっ、最後に話がしたくてっ。出来れば、皆がいないところでっ」

 スオートはセイネリアの少し前までくると足を止めて黒い男を見上げた。勿論その後ろについていたのはカリンだった。




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