黒 の 主 〜冒険者の章・八〜 【131】 だが、そうしてこみ上げる感情をザラッツが耐えていれば、黒い男はそこで明らかに茶化して言って来た。 「ま、俺を基準にしたらまだまだあんたじゃいろいろが足りないが、ディエナ込みならどうにかやっていけるだろ」 泣くのを堪えていたザラッツは、それでそもそもここに至るまでの話の流れを思い出した。思わず咳き込んで、それを落ち着かせてからやっと彼の顔を見れば、意地の悪い笑みでこちらを見ていた男と目が合う。 「なんだ、何か文句があるのか? お前だけだったら不安だがディエナがいるから俺はナスロウの名をお前にやる事にしたんだ、俺の気が変わらない内にさっさと了承の返事をしたほうがいいぞ。……それともお前はディエナが他の貴族女と同じ、何も出来ないただのお飾り人形だとでも思っているのか? 確実に度胸だけならお前より上だ、お前一人で全部を背負おうなんて思わなければいい」 そこでザラッツは、う、と唸ったあと口を閉じる。……なんだこれは、ここで断ったらまるで自分がディエナの能力を認めていないようではないか、と考えたら言い返す言葉が出なかった。 「……年齢的に、離れてすぎてる」 だから考えた末、どうにか苦し紛れにそう言えば、若造のくせに余裕のあり過ぎる男は気楽そうにまたとんでもない事を言ってくる。 「あんたスローデンとあまり変わらないだろ、貴族間ならそこまで珍しくない歳の差だ。ナスロウのジジイの時に比べたらまったく問題ない」 「待て、それは何の話だ?」 ただでさえ相当頭が混乱しているところで、何故またそこでナスロウ卿の名前が出てくるのかザラッツには分からなかった。 「ナスロウのジジイが初めて好きになった女はジジイからすると孫くらいの歳だったのさ、だからどうみても両想いだったのに最初からジジイは諦めてた。お前くらいの歳の差で遠慮してたらあのジジイが怒るぞ」 だから何故そんな話になるんだとは思ったが――かつて憧れていた、厳しい騎士の顔を思い浮かべるとなんだか体の力が抜けた。女っ気のない、いかにも堅物だったナスロウ卿が孫のような歳の娘に惹かれたなんて……あまりにも意外過ぎて、けれどあの人もそんな事に思い悩んだのだと考えれば確かに自分の悩みが馬鹿馬鹿しく思えてくる。 僅かに喉を震わせて、声を出して笑いそうになったから手で押さえて、そうしてザラッツはまた下を向いた。 「最後に確認だ、立場や歳なんてくだらないものを全部忘れて、あんたはディエナをどう思ってる?」 ザラッツは下を向いたまま彼のその質問を考える。実を言えば今までマトモに考えないようにしていたというのが正解で、考えない事で逃げていた。 「……ディエナ様は素晴らしい方だ。お父上を失った悲しみがある中、お母上やご兄弟を気遣って気丈に明るく振る舞ってらしている。あの歳でお父上の代わりに他領主の前に立ち立派にその役目を果たす……私は、出来る限りの力であの方を支えたいと思う」 思いつくまま正直に言えば黒い男は暫く黙ってから、ふん、と偉そうに皮肉気に笑って、それから言ってくる。 「かろうじて及第点か。命を懸けて助けようとした女に今更そんな勿体ぶった言い方をしなくてもいいだろ」 「いや馬鹿をいうなっ、これ以上そう簡単になど……」 不満そうな返しに思わず文句を言いかけたザラッツだったが、次の彼のセリフで口を開けたまま声が止まった。 「まぁいい、そういう事だ、聞いていたんだろ、ディエナ」 ザラッツは咄嗟に両手で口で押えた。 最初は声が小さくなるよう気をつけていたが途中から忘れていた。確かにこれだけの声で話していれば馬車の中で彼女達が起きていてもおかしくないだろう。 「はいっ」 馬車の幌が持ち上がって、ディエナが他の女性陣と一緒に顔を出す。エデンスもずっと寝たフリをしていたらしく、彼も起き上がってにやにやと笑ってこちらを見てくる。これにはさすがにザラッツも気まず過ぎて何も言えないどころか顔を逸らすしかなかった。 「このなかなか思い切れない騎士様に吹っ切れて貰うために今回の英雄に仕立てあげてやろうと思うんだが、そのためにはあんたにも一つ大きな仕事をしてもらわないとならない、覚悟はあるか?」 そうすればディエナはまた即答で、はい、と先ほどよりも大きな声で答えた。 何かとてつもなく有無を言わさぬ状況でハメられた気がしたが、ディエナにじっと見つめられてザラッツが文句を言える筈がなかった。 --------------------------------------------- |