黒 の 主 〜冒険者の章・八〜





  【130】



「前より確かに……大切なものが見えるようになったかもしれません。ただその分臆病になりました」
「無能が無能である事を自覚するのが有能への第一歩であるように、臆病者は臆病である事を自覚するのが強くなる第一歩だ」

 他人事のように言いながら黒い男は酒を呷る。ザラッツは何故かそれに笑ってしまった。

「貴方も自分が弱いと自覚した事があるのでしょうか?」
「当たり前だ、ガキの時に散々自覚したさ。誰だって最初から強い人間なんかいないだろ」
「確かに……それはそうだ」

 ザラッツは笑う。考えれば当たり前の事なのだが、よくわからないが笑えて仕方がなかった。声を出して笑ってしまえば、黒い男も笑ってザラッツの顔を見た。

「あんたは臆病だが逃げも投げもしなかった。自分では全てをどうにかするのは無理だと思ったから俺を雇った。それで何の問題がある? 自分の能力が足りなければどうにかする手を考える。嫌いな人間にも頼って頭を下げる、安全な場所に篭らず自らも動く。……上に立つ人間としてそれが出来るなら十分だ」

 この男は何を言っているのだろうとザラッツは考える。含みがある笑みは何かを企んでいるように見えて、ザラッツはこの男の真意が分からなくて困惑する。そうすればただの冒険者に過ぎないくせにやたら威圧感のある男は、少し茶化したように軽い口調で勝手に一人で話し出した。

「……まぁ、だがいくら今回の件があるといってもザウラ卿自身を責める訳にはいかないだろうから、ザウラ卿の求婚を蹴ってディエナがただの部下の騎士とくっつくというのはいろいろ問題がある。状況的に普通なら和解のためにも両領主間での婚約を進めるところだろうし、これではグローディがザウラの謝罪を表面上は受け入れたものの実際は許していないというようにも取れる。となるとディエナの相手にはザウラ領主でも快く身を引けるくらいの地位と理由付けが欲しいところだ」

 そうして彼は、ザラッツの瞳を真っすぐ見ると、最後に信じられない事を言った。

「だから、あんたはナスロウ卿になれ」
「――……は?」

 これにはさすがにザラッツも訳が分からずそれしか返せなかった。
 何を言っているのだとはこの男に対しては何度も思った事だが、本気で今回はどこからそういう話になったのかが分からない。あまりに驚きすぎて、自分の記憶が飛んで途中で重要な何かを聞いた事を忘れたのかと思ったくらいだ。

「領地はなくてもかつて旧貴族だったナスロウ家の当主との婚姻となるなら、ディエナがザウラ卿からの求婚を断っても向うの面目は保てる。更にそれが敵地から彼女を救い出した人間だというならザウラ卿も仕方なく身を引いた、とちょっとした『いい話』に出来る」
「いや、そういう話ではないっ、どうして俺がナスロウ卿になるという話が出てきたのか教えてくれっ」
「ならあんたは、ディエナに父の仇の妻になれと言うのか?」

 ザラッツは思わず口を閉じた。一気に頭が冷えて、自分の口調が素に戻っていたを自覚して歯を噛み締める。
 黒い男はそれを見ると雰囲気を一変させてくくっと笑い、まるで騙してやった相手の反応を見るようなしたり顔で言って来た。

「言ったろ、俺はあのジジイから家を継いでくれと言われて断ったと。そうしたらジジイはな、なら俺が認めた奴に継がせろと俺を代理後継者にした。だから俺が決めてあんたが受ければあんたはナスロウ卿となる」

 男の口調は冗談めかしているくらいだが、それが真実なのはザラッツも分かる。ナスロウ卿が亡くなった後、誰がその名を継いだのかまで調べようとはしなかったが……確かにナスロウ卿なら一度選んだこの男に全てを託したのだろうと想像は出来た。
 けれど正直なところではいっそ冗談であって欲しかったと思う。とてもではないが、今の自分にはそんな地位は無理だとしか思えなかった。

「ばかな……いや無理だ。そもそも俺はあの方に認められなかった、あの方に申し訳ない。それに……現状でさえ怖がっている俺がナスロウの名を背負うなんて……無理に決まってる」
「別に実力に足る者だけが地位を得る訳じゃない。後から地位にあった人間になってもいいさ。それに少なくとも今のあんたなら、あのジジイはただの弟子だけではなく、一人の騎士として認めてくれたと思うぞ」

 軽い口調のまま、黒い男はさらっと重い事を言ってくれる。ザラッツは思わず聞き返した。

「認める? 俺を……あの方が?」

 黒い男はまた軽く喉を鳴らしてから酒を一口飲むと、口を拭って言ってくる。口調はやはり軽いまま……けれど、瞳は笑っていない、冗談ではないと分かる。

「あぁ、あのジジイなら今回のあんたの行動を騎士として立派だったと褒めてくれたと思うぞ。……あんたに一番欠けていたのはな、自分の考えで行動することだ。分かりやすい善悪の基準やルールに無条件に従うのではなく、あんた自身が様々な状況を考慮して悩んだ末に下した判断によって行動する。今回のあんたはそうしてたろ? だから……あのジジイが今のあんたを見たなら、少なくともあのジジイが目指した方向にあんたが歩き出した事を認めてくれたろうよ」

 そこでザラッツは気付いた。……成程、だからこの男は水鏡術の石を渡す時に『指示したい事があれば』と言って一つだけしか渡さなかったのだ。この男にどうすればいいのかと相談して決めてもらうのではなく、こちらで決めさせるために。

――つまり俺は試されていたのか。

 自分より年下のこの男に、どこまでも敵わないなとしか思えない。けれど相手を認めている分、それに悔しいと思う気持ちよりも参ったと思う気持ちと、認められたという嬉しさがあるのだから怒りようがない。
 自分の感情の仕方なさに笑えてしまって、そしてずっと追いかけていたナスロウ卿に初めて近づけた気がして、その複雑な感情に口元が緩む。ついでに涙腺まで緩んでしまってザラッツは下を向いた。




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