黒 の 主 〜冒険者の章・八〜 【129】 騎士ザラッツは馬車の外に座って目を閉じていた。傍にはエデンスが横になって眠っている。エーリジャが動物避けの結界を張ってくれているのもあってこちらで火は焚いていない。流石に蛮族との戦闘があったこの辺りに近づいてこようとする盗賊などいないだろうから基本安全だとは思うが、ザラッツは今晩は一晩中目を閉じるだけで意識は落とさないでおくつもりだった。 馬車の中はディエナとリシェラ、ガーネッド、レンファンと女性達の寝床となっていた。蛮族達は宴会で、セイネリア達や蛮族に繋がりのある連中もそっちに行っている。たださすがに向うも静かになったから、そろそろ宴会は終わったらしい。 そこで近づいてくる人の気配を感じてザラッツは目を開いた。 開く前からそれが誰かは分かっていたが、実際その姿を見ると思わず苦笑する。 見上げる高い背、立派な体躯。月明かりだけの夜の中に立つ黒を纏った男は、見ただけで畏怖するような凄みがある。自分より年下の若造の筈なのに、既に見ただけで心で負けている事を実感してしまう。 「宴会は終わったのでしょうか?」 声を掛ければ、あぁ、と小さく呟いて、セイネリアはザラッツの前に座った。 「あんたは酒を飲まなかったのか? ガーネッドがもってきたろ」 「私は飲みませんよ、仕事中ですから」 「真面目な事だな、相変わらず」 言って彼は持っていた酒袋に口をつけてそのまま飲んだ。匂いからしてここまで相当飲んでいるのだろうが、彼の言動からは別に酔った様子は見えない。酒もかなり強いようだと思わず感心する。 「その様子じゃぁ、折角同じ馬車に篭っていても結局ディエナには手を出さなかったのか」 だがその言葉を聞いた時はちょっと固まって、もしかしてこの男はこれで実はかなり酔っ払っているのではないかとザラッツは考えた。 「……当たり前でしょう、それに別に二人だけで馬車に乗っていた訳ではありませんから」 「貴族様の侍女なんて見ていても見ないふりをするものだ。俺が知ってる貴族女は堂々と侍女に部屋の隅で待ってるように言って俺と寝たぞ」 ザラッツは頭を抱えた。本気でこの男は酔っているのではないだろうか。ただこの男のその手の噂話は聞いてはいるから、それが事実あった事だろうとは思いはしたが。 「それはその……慣れている方ならそういうのもあるかもしれませんが……ディエナ様とリシェラの歳を考えてください」 「だが実際お前が呼べばディエナは喜んだだろうし、侍女は見ないふりをしたと思うぞ」 流石にそれには即答出来ず、ザラッツは黙った。 「ディエナの気持ちは分かってるんだろ。グローディ卿も望んでる、それでお前が決められない理由は何だ? 代理ではない、ハッキリとした立場を得るのが怖いか?」 それには内心、参った、としか思えない。 今回、グローディ卿の代理としていろいろ責任を背負い込んだ事でザラッツは自分の限界というのを嫌と言う程実感した。セイネリアに対して大きい口を叩いた事を恥じる程、自分の能力の足りなさと、精神的な弱さが分かってしまった。自分という人間の格というのを理解した。だから確かに……怖いのだ、というか自信がないのだ。 「私は所詮、自分で何かを切り開いていける人間でないというのが分かりました。自分自身の決断で物事を決めるということがどれほど大変な事かと分かりました。今まで無能だと見下していたのも、自分に権限と責任がない故に言う事が出来ただけの事だと分かったのです。自分という人間の小ささに嫌気がさしました、そんな私では……」 ナスロウ卿からずっと『残念な弟子』という目でしか見られなかったのは、そういう小者の本性を見抜かれていたからだろう。かつての自分の視野の狭さが分かってしまえば自分の愚かさが見える。ナスロウ卿を理想として固定化する事で、何もない自分の自信にしていた。それが今回、本当に理解出来た。 「だがあんたは手に入れた権力に溺れなかった。あくまで自分が正しいと思う姿であろうとしてそれを通した。だから領主代理としてのあんたを非難する者は殆どいなかったろ」 馬鹿にしていた筈なのに今更そんな事を言ってくる男の発言がおかしくて、ザラッツは苦笑して彼に言う。 「それは買い被りです。自分に自信がないからこそ、あくまで部下の立場を保とうとしただけですよ。最終決定をするのは自分ではないと自覚することで安堵したかっただけです」 「そして……理想より現実が大切だと分かった、違うか?」 それは何の事を言っているのか……一瞬、ザラッツは彼の発言の意図が理解しきれなかった。だが少し考えて、それで聞いてみる。 「ザウラ卿に誘われた事ですか? それは……流石に、理想過ぎて怪しいと思うでしょう。現実はそう簡単に理想通りにはいきません、そんなモノに惑わされて大切な方々の運命を決めるようなマネは……」 そこまで言ってザラッツは、セイネリアが言いたい事が分かって自嘲の笑みを浮かべる。 「あぁ……そうですね」 かつての自分ならもっと悩んだかもしれない。恩があるグローディの人々より、理想であるザウラ卿の言葉に乗ってしまったかもしれない。……成程、確かに自分は変わったのかもしれないとザラッツは思った。 --------------------------------------------- |