黒 の 主 〜冒険者の章・八〜





  【132】



 主の帰還は唐突に訪れた。

 戦端が開かれたキオ砦前では、ザウラが謝罪をすることで決着がついたこともあってグローディ側も停戦を受けいれて互いに攻撃は止めていた。とはいえ両陣営ともに今回の戦いにおいて具体的な交渉を出来る人間がいる訳でもないから、結局元のにらみ合いに戻った状態に近い。ただ一応、これで戦いは終わったというのはあって兵士達の顔は皆明るかった。

 カリンは例によってスオートの天幕の中にいて、外の騒がしさでそれを知った。最初は何かあったのかと警戒したが、兵士達がザラッツやディエナの名を叫ぶのを聞いて安堵した。

「ザラッツ様とディエナ様が帰ってこられたようです。スオート様もお迎えにいかれますか?」

 言えば、外の様子にそわそわしていた少年は、椅子から立ち上がって瞳を輝かせた。

「いいの?」
「勿論です」

 天幕の外に出れば、エルとヴィッチェがいかにも『待っていた』という顔をしていたからカリンも思わず笑みが湧く。

「他の連中はもう行ってンぞ」

 他の連中とはデルガやラッサ達の事だろう。彼ら二人は今日はここの外の見張り役だったからこちらが出てくるのを待っていたのだと思われた。

「セイネリアの奴も帰ってきたってよ。……ったく、唐突な」

 エルが言って、カリンの肩を叩いてから先に歩いていく。カリンは少し驚いてからほぅ、と安堵の息を吐いて、それから笑顔でスオートを振り返ると手を伸ばした。

「さぁ、いきましょう」
「うん」

 伸ばし返してきたスオートの手を掴み、カリンはエルの後ろを歩く。後ろにはヴィッチェが付く。
 兵士達が次々に笑って走って行く姿が見える。その数は進むに従って増えていく。やがて人だかりが見えてくれば、その先にはディエナがいた。

「姉さまっ」

 彼女は兵達に向かってねぎらいの言葉を掛けている最中だったが、スオートが上げたその声を聞くと笑顔でこちらを見た。

「スオート」

 そうして、広げた彼女の手に少年は駆けていったが……そのまま無邪気に姉に抱き着く事はなく、彼女の目の前までいくと急に足を止めて背筋を伸ばした。

「姉上……おかえりなさいませ」

 言って頭を下げればディエナは驚いた後に笑って、彼女も弟に礼を返す。

「ただいま帰りました、スオート。兵達への指示、立派でした」

 ただそう言われてやはり安堵が噴き出したのか、少年は少し涙ぐんでから姉に近づいていって抱き着いた。

「姉さまが無事でよかった」
「私も、貴方が無事でよかった」

 兵達がそれに歓声を上げる。感極まって泣き出す者もいる。だが、兵達が盛り上がり過ぎて収集がつかなくなりそうなところで、後ろに控えていたザラッツが声を上げた。

「我らの目的は果たされた。これから撤退準備を始めるっ」

 それで兵士達は急いで整列し、慣れた上官の指示に気を引き締めた。
 そしてそれとほぼ同時に、ディエナやザラッツの更に後方、柵沿いにいた長身の黒い男と一緒に行った者達が兵達の列を迂回するようにしてこちらに歩いてくる。本当はスオートのように飛びついて行きたい気持ちを押さえて、カリンはただ背筋を伸ばして彼女の主が近づいてくるのを待った。

「ったく、唐突に帰ってくるなよ、驚くだろ」
「転送できたからな、唐突は仕方ないだろ。一番安全で確実だ」
「……いやまぁ、そらそうだろーけどよぉ」

 真っ先につっかかっていったのはやはりエルで、けれど彼も文句を言っている割りには笑顔だ。そのエルに後からきたエーリジャが笑いながら抱き着いた。

「皆元気みたいだねぇ、良かったぁ」
「うわおっさん、抱き着くな気色わりぃ」
「えー、ひっどいなぁ」

 黒い男の後ろで笑い声が上がる。それに振り向きもせず歩く彼に、今度はヴィッチェが近づいていった。

「ねー、結局私達ただの留守番だったんだけど」
「いや、ヴィッチェそれいっちゃぁ……」
「そうそう、大事がなかったのはいいことだしさ」

 彼女が文句を言い出せば、デルガとラッサが宥めて引かせるのはもう見慣れたいつも通りの光景だ。

「ヴィッチェ、ここを守るのも大事な仕事だろ」

 そこで続いてやってきたネイサーも宥めに入れば、ヴィッチェは口を尖らせながらも帰還した仲間に向かって『おかえりなさい』と言う。デルガとラッサは明らかに安堵した顔をして、嬉しそうに彼らもまた『おかえり』といってネイサーの体を叩いて笑い合った。

 それらのやりとりを背後にして黒い男は歩いて来る。そうしてやっと、カリンの前までくると足を止めた。

「ご苦労だったな」

 琥珀の瞳が僅かに細められてカリンを見下ろす。それを見上げて、カリンは笑顔で答えた。

「いえ。全て上手くいったとは言えませんが」

 セイネリアの唇が僅かに緩む。

「いや、上出来だ。よくやった」

 そうしてその大きな手がカリンの頭の上に置かれた。
 カリンは真っすぐ彼の琥珀の瞳を見つめて言った。

「おかえりなさいませ、セイネリア様」




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