黒 の 主 〜冒険者の章・七〜 【50】 会議が終了し、人々は待機室に集まって談笑にふけっていた。会議前はこの部屋の隅にいたボネリオは、今では旧ハーラン派だった者もホルネッド派だった者も含めて大勢の人間に囲まれていた。 セイネリアは一応護衛としてボネリオの近くにはいたが、彼らからは一歩引いた位置でただ見ているだけにしていた。それはあくまでここの政治問題からは部外者であると主張するためと、オズフェネスが傍にいる段階で彼が守ってくれるだろうというのがあったからだ。 ホルネッドは勿論ここにはいない。 会議の終了と共に一部の取り巻きを連れて部屋へ帰った。領主候補から転がり落ちた彼は、おそらく自主的に領内から出て行くだろうと思われた。兄が残るといえばボネリオはそれなりの地位を用意するとは思うが、今更散々見下していた弟の下につくなど出来ないだろう。 セイネリアた見たところでも、確かに……ホルネッドは頭が良かったと言えなくはない。だが彼はデルエン卿に対する部下や領民達の感情を見誤った。彼らはデルエン卿を決して悪くは思っていなかった。特に長くデルエン卿を見て来た者程彼の境遇には同情的で、ファダンのようにその行動に呆れて半ば見捨てていても辞めずにいたものが大半という辺りがそれを示している。オズフェネスが辞めたのも、聞けば彼が謹慎させられた事で一部の兵士が暴動をおこしそうになったから、というのがあったらしい。 けれどホルネッドにとって父親は、ろくに愛情を受けた記憶もない上に凡庸な癖に厳しい、しかも妻が死んだ後に仕事を投げ出すような情けない男としか映らなかった。彼にとっては見下すべき存在だった。 だから彼は、父親が領主として愛されている事に気づけなかった。 無能な父や兄にとって代わり、頭のいい自分が称賛される図しか頭に思い浮かべられなかった。そのせいで状況が全て思い通りに動いた段階で、人々の心情も自分の思う通りであると錯覚したのだ。 自分の失敗をどこまで理解出来ているかは疑問だが、まぁ無能の貴族のボンボンという訳ではないから露頭に迷う事はないだろう。一応貴族ではあるし、自分の能力に自信がある彼なら、首都にでもいって役人になる方がいいと考えるのは想像出来た。 ――無事、首都に行けるのならな。 セイネリアは皮肉の笑みを口元に乗せる。ホルネッドに足りないのは、自分にとって最悪の事態を想定する能力、と言い換えてもいいかもしれない。 ホルネッドもハーランもいない今、待機室の連中は会議前と違って派閥に固まっているという事もなく、それぞれが思い思いのところで小さな輪を作って話をしていた。 ただ中心の大きな輪の中にはボネリオがいる。 とはいえ……実質的に新領主はもう決まったような空気の中、当然ながらその当人は当惑していた。 「いや……待って、俺が領主なんてありえないでしょう。だって俺は領主の為の勉強なんて何もしてないし、兄上に比べて何も……」 「勉強は今からすればよいのです。ボネリオ様なら出来る筈です。それに、分からない事があれば何でも我々に相談してください。我々は全力で貴方をお支えいたします」 言ってオズフェネスが足を折れば、次々と中立を宣言していた軍部の重鎮達がそれに続く。更には役人達まで次々に彼に頭を下げていく。 「だって……おかしいよ、俺はずっと領主にならないからって何もしてなくて……兄上がなりたいのなら兄上がなればいい、俺がなる必要なんてないじゃないか」 ボネリオとしては自分が領主になるなんて考えた事もなかった上に、今は冒険者になるという目標に向かって生まれて初めて努力の楽しさを知ったところだ、欲がない子供からすれば拒絶しかないだろう。 「ボネリオ様、ボネリオ様は領主にはなりたくないとおっしゃるのですか?」 それでも、ここまでくればもう他の者達も後には引けない。当然、オズフェネスも。彼はボネリオの前に跪いたまま、少年の顔をじっと見据える。 「…………正直を言えば、なりたくは……ない、かな」 「ですがハーラン様はお亡くなりになられた上に、ホルネッド様にはここにいる大半の者がついて行きたくないと言う事でしょう。となれば、貴方がこの地をお継ぎになるしかないと思いませんか?」 「でも……俺は冒険者に……」 オズフェネスは笑っていない、厳しい瞳でボネリオを見ている。そうして重い声で紡がれる言葉はボネリオに簡単には拒絶を許さなかった。 「ボネリオ様が冒険者になるためにどれだけ努力していらしたのかは知っています。ですが冒険者になるという事はここを出て行くという事、つまり今の状態の領主様を置いて行く事になります。ボネリオ様は、お父上をお見捨てになられるのですか?」 これはもう脅しだろうとセイネリアは笑いそうになる。勇者様もなかなか言えるじゃないかと揶揄ってやりたいところだが、まぁこれくらいは言って貰わないと困る。 「父上を……見捨てる、つもりは……」 「ですがボネリオ様がいなくなれば、お父上はあのままで一生を過ごされるしかなくなります」 ボネリオの顔が泣く直前のように歪む。けれど涙は流さない。歯を噛みしめて、だんだんと下を向いて……そうしてやがて呟いた、分かった、と。 --------------------------------------------- |