黒 の 主 〜冒険者の章・七〜





  【30】



 青い顔をしているボネリオは、この部屋に入ってからずっとエルの服を握っていた。
 領主の部屋から繋がった待機室に集められたのは、デルエン卿の息子三人とそのお付きの者、それぞれ二人づつ、だからセイネリアはここにいない。兄弟の上から一人づつ部屋に呼ばれて父親と対面し、次の兄弟に交代する。会った者はそのまま供を連れて退出していくから、今この部屋に残っているのはこの部屋付きの使用人と、後はボネリオとカリンとエルだけだ。
 つい今さっき次男のホルネッドが出て行ったから、次に扉が開いたらボネリオが呼ばれる筈だった。

「ボネリオ様、どうぞ、お父上にお会いください」

 開いた扉から執事長のデナンが出てきてボネリオに頭を下げる。

 実を言えば、この事態がそろそろ起こる事を、エルはセイネリアから予め聞いていた。
 だからここへボネリオが呼ばれた時点で何があるのか分かったため、付き添いは自分がいくとセイネリアに言って出て来た。
 ボネリオはまだ子供だ、年齢じゃなく、精神面が。
 そう考えてしまったら、呼ばれて益々強くこちらの服を握りしめたボネリオの様子に、思わずエルは言っていた。

「俺も、一緒にいっちゃだめかな」

 言った途端、勿論執事長は不快げに顔を顰めた。けれど、ボネリオがこちらに助けを求めるような目を向けてきたから、エルはそこで少し考えてから、自分の立場を最大限利用する事にした。

「アッテラの名において、見た事は絶対に他言しないと約束する」

 アッテラの大神殿があるジクアット山が領地近くにあるのもあって、デルエン家は貴族にしては珍しくアッテラを信奉している。ならばただの冒険者など入れたくなくとも、アッテラ神官なら話は違う筈だった。
 エルが拳を胸に置いてアッテラの祈りの動作を見せれば、デナンの表情が微妙に変わった。

「分かりました、エル様。貴方だけはボネリオ様に付きそうのを許可しましょう」

 明らかに少し安堵した顔のボネリオの背を軽く叩いて、エルは少年に笑い掛けてやる。デルエン卿の現状がどうなのかなんてエルは詳しくは知らない。それでも領主として人前に出れない状況だというのは知っている。だから恐らく、まだ中身が全然子供のこの少年が相当のショックを受けるだろう事が予想出来たから……どうにも放っておけなかった、それだけだ。

 武器はカリンに渡して、エルはボネリオについて開かれた扉の中へ入って行く。二重扉なため、後ろの扉が閉じられてから改めて内扉が開かれる。そこで両脇に二人の侍女を置いて椅子に座っている父親の姿に足を止めたボネリオの肩を、エルは優しく叩いてやった。

「父上……」

 それでゆっくり、ボネリオの足が動いて中に入って行く。
 エルは途中まではついていったが、デルエン卿から二歩半程の位置で足を止めた。デナンはデルエン卿の傍まで行って、その横に立つとここの本来の主に耳打ちした。

「旦那様、ボネリオ様です」

 けれどデルエン卿は何も反応しなかった。虚ろに開かれた目は近づいてくる息子を見ようともせず、薄く開かれて涎を垂らしている唇も少しも動かなかった。正直、エルもここまで酷い状況とは思わなかったのだが、それはおそらくボネリオもだろう。

「父上、父上、聞こえませんか? 何故、こんな……」

 思わずボネリオが父親の手に触れれば、そこで初めてデルエン卿はピクリと反応した。

「あ……あ……ナリアーデ……もっと……」

 欲に歪んだ顔は醜く、エルでさえ正視出来ないと思ったくらいだ。そこでとうとうボネリオの声が嗚咽に変わった。

「父上……ちちうぇ……すみません、すみません、俺もちゃんと止めればよかった。……俺、本当は嫌だったんです、父上があの女といるの……あの女嫌な感じで……でも、言えなかった。すみません、すみませんっ……ごめん、なさいっ」

 後はもう嗚咽だけで言葉にならない。エルはそっとボネリオの後ろにいくとその肩を叩いた。ボネリオが振り向いて、涙でぐしゃぐしゃになった目で見上げてくる。それからすぐに抱き着いてきたから、エルは少し乱暴なくらいの力でその頭をぐしゃぐしゃと撫でてやった。

「いいんだよ、泣いてろ。身内の為に泣くのは男でも許されるんだ」

 そうして、やはり辛そうな顔で領主とボネリオを見てため息をついている執事長に言った。

「今日はここまでにしておいた方がいいと思う。ボネリオも一回頭を整理して、それから改めて会ったほうがちゃんと受け止められると思うンだがな」
「はい、そうですね」

 デナンが頭を下げる。

「ボネリオ様をよろしくお願いいたします」
「あぁ、承知した」

 それでエルは抱き着いてくるボネリオを宥めながらその頭をずっと片手で抱いて部屋を出ていく。

 ボネリオとエルが部屋を出た後、呆けた瞳を宙にさまよわせる主を見て執事長は呟いた。

「良かったです……旦那様の事を本当に悲しんで下さる方がいて」

 彼の瞳には涙があった。そうして、傍にいた侍女達も、ボネリオにつられて涙を流していた。



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