黒 の 主 〜冒険者の章・五〜 【28】 男は何かを叫ぶ、それと同時に起き上がる。 今度は全力でこちらに向かってくる男に先ほどまでの余裕はない。突き出してくる剣を受けずに刀身を当てて逸らし、ついでに膝で相手の腹を蹴る。それでも黒の一番(ナク・クロッセス)と呼ばれるだけの男はそこで腹を抑えてのたうつような無様な事はしない。痛みを咆哮で耐えてそのまま剣を大振りする。それにはセイネリアも一歩引いて、剣を当てて避けるしかなかった。 とはいえ乱れが出ている男の動きはいまでは隙を探すのも容易(たやす)い。 今度はむやみと剣を振り下ろしてくる男の剣を受けては流して、セイネリアの足は少しづつ後退する。しかも予想通りそこで強化術が切れて、まるで何かに躓いたようにセイネリアの体ががくりと揺れた。それに上がる歓声は、だが一瞬で悲鳴に変わった。 男が一際力を込めて剣を振りおろす。 だがセイネリアはそれを避けて、男の剣は地面を思い切り強く叩いた。そうすればすぐに次の行動に移れないのは仕方ない事で、セイネリアの剣が男の腹に伸ばされる。それでも体を捻って男はどうにか脇腹を掠める程度の怪我で済ますと、そのまま飛びのいてこちらを睨んだ。 この男は十分強い、いくらこちらがトドメを刺す気がないからとはいえ、普通ならもう何度も倒れていておかしくない状況だろう。 だが、弱い。力は強くても動きが雑過ぎる。セイネリアが知っているもう一人のナク・クロッセスに比べれば、巧さがまったく伴っていない。 ――そこが黒の一番(ナク・クロッセス)で満足出来たか、出来なかったかの差というところだろうな。 ナスロウ卿は父親のつけた名の通り部族最強となってもそれで満足できなかった。だからこそあそこまで強くなった。あの男(ジジイ)の肉体が衰える前だったら、まだ今のセイネリアでは勝てなかったと思っている。 ――いや、衰えたジジイにも結局本当に勝てた訳ではないしな。 苦笑をして、セイネリアは剣を構えた。 目の前の男は剣を上げたが、構えを取るところまでは行っていない。男の腹では赤いしみが現れたと思えばみるみるうちに広がっていく。 蛮族達は固唾をのんで彼らの英雄を見ていた。いつの間にか歌はなく、足踏みでリズムを刻む者は誰もいない。 だからこそ静まり返ったその場で馬の蹄の音が聞こえてきて、今度は一騎ではないその響きにセイネリアは目の前の男に向けて笑いかけた。 「ここまでだな」 セイネリアの剣が上がると同時に、敵の勇者は雄たけびを上げる。それから最後の気力を振り絞って剣を構えるとセイネリアを睨んだ。だがそこから動けはしない。まるでその体勢まま固まったように動けない男に向かって剣が伸ばされる。それは何にも受け止められる事なく、男の体を刺し貫いた。 男の声は上がらなかった。 だが大柄な体からは生命と共に力が抜けていく。 ゆっくりと倒れて行く戦士の体躯は、途中からガクリと膝が折れてそのまま地面に崩れ落ちた。 そこで急に、辺りがオレンジ色の光に包まれる。 それがおそらくエーリジャの持っていた光る魔石付きの矢の所為だと分かったセイネリアは、笑みを浮かべて空を見た。彼はあの矢を気に入って、何かあった時のために常時数本用意するようにしたそうだから間違いない。ふと視線を落とせば蛮族達の勇者であった男が目に入って、その顔が思ったよりも穏やかな表情を浮かべていたことにセイネリアはまた苦笑した。 馬の足音が近くなる。日が沈みかけた空の下、騎馬の群れが土煙と共にこちらに向かってくるのが見える。 それに呼応するかのように、ヤーヤーと蛮族達の声が上がる。周りを囲んでいた彼らは潮が引くように次々と森へ向けて走り出していた。勿論、それを追う気などない。すっかり萎縮して皆で小さくなっている味方の連中も、今度は追いかけようとするものなどいる筈がなかった。 だが、逃げていく蛮族達の中、数人の蛮族がセイネリアを伺いながら死んだ彼らの勇者の元に集まってくる。彼らの腕の黒い布を確認して、セイネリアは剣を鞘に納めると言った。 「持って行きたいなら好きにしろ、攻撃はしない」 おそらく言葉は伝わらなかっただろうが、彼らはそこで死んだ男を担ぎあげるとセイネリアを気にしつつも森へ向かった。だが一人だけ、小柄な男が残ってセイネリアに何かを言ってきた。 「あ、ナ、ナー」 言葉が分からないセイネリアとしては眉を寄せるしかなかったが、男は考えながらも必死に何かを訴えてくる。 「ナ、ナーマエ、オマエ」 ――成程、そういうことか。 「セイネリア」 自分を指さして言ってやれば、男は真剣な顔で頷くと、セイネリア、と呟いてから急いで森に走って行った。 --------------------------------------------- |