黒 の 主 〜冒険者の章・五〜 【27】 この部族最強と思われる男は鋭い視線でセイネリアを見たまま、それでも唇だけを僅かに笑みに曲げてその場で剣を構えた。 セイネリアも男に視線を向けて逆に口から笑みを消すと、剣を構えて腰を落とした。 ダン、ダン、と蛮族達がまた足踏みでリズムを取り出す。 先ほどと同じ歌声が辺りを包んでいく。オーオ、オーオと男たちの低い声が腹にまで響いてくる。 それに応えるよう、男の口が大きく開いて咆哮を上げた。 セイネリアも吼えると同時に敵に向かって駆け出した。 最初は、真正面からマトモに剣をぶつけた。 硬い鉄の剣と剣がぶつかって、互いの目の前で剣身が止まる。 まずは力比べ、押し合いは拮抗する。互いに歯を噛みしめ、腕の筋肉を震わせて剣で相手を押す。合わせた剣と剣の位置が変わらなくても、互いに押せば体は近づいていく。剣を間に顔と顔が近づいて、相手の唇がぶるぶると震えているのさえよく見える。 だが勿論、この勝負はただの力勝負ではない、ただの殺し合いだ。力勝負で決着などつける必要は最初からない。 がぁ、と大きく吼えて、相手が反動をつけて押してくる。だからセイネリアも反動をつけて体で押せば、剣の位置は止まっているのに互いの肩がぶつかって、そこからはじかれるように二人の体は一度離れる。 けれどもまだ、どちらも足は一歩も下がっていない。 すぐに剣を再び合わせて互いにまた押し合う形に戻る。 不快なリズムはまだ鳴っている。 恨みを込めた呪いのような歌は辺りの音をすべて奪ってそれだけしか聞こえなくさせる。まるでお前の回りはすべて敵だとこちらにプレッシャーを掛けるように蛮族達の歌は続いている。……勿論、セイネリアにはそんなものプレッシャーにも何にもならないが。 力と力が拮抗する中、セイネリアはそこでほんの僅かに腕の力を抜いた。当然ガクリと相手に押されて剣がこちらに近づくが、そこで腕に精一杯の力を入れて持ちこたえると剣を斜めにずらして刀身同士を滑らせる。そのまま相手の横に回り込むように自ら相手に近づいていけば、意図に気づいた相手が剣の角度を変えてこちらを押した。たがそれより早くセイネリアの上げた足が男の腹を蹴って、相手はよろけながら横に離れた。 「クロッセス、クロッセス」 声が上がったのは木の上、今の薄暗さでは腕の布など判別できないが、目の前の男と同じ黒の部族の者だろう。 部族最強の男はつまり、この部族の誇りである。だからわざわざ戦闘を止めてこの一騎討ちを蛮族達はただ見守る。最強の戦士が強敵を倒し、その強さを証明する場面に水を差すマネはしない。たとえ今ならすっかり萎縮した他のクリュース兵など簡単に始末出来ても、いつこちら側に援軍がきて蹴散らされるかもしれなくても、誇りを賭けた彼らにとって神聖な戦いを邪魔する事はあり得ない。 だが、セイネリアにとっては今は時間を稼ぐ事が一番の目的だった。勝つことより負けない事、負けないまま出来るだけこの戦いを長引かせる事が重要である。 それでも、ただ引き延ばして遊んでいられる相手ではない。なにせ力はほぼ互角、一応まだこちらの方が上だと思うが、力比べの真っ最中に強化術が切れたらと考えれば笑えない。腕には殆ど影響が出ない筈だが、足から一瞬力が抜けたらそのタイミングによっては致命的な事態になる。そうしてそれはもうすぐ訪れる筈であった。 今ので肩で息をしていた男は、こちらが動かないのを見てから剣を構え、今度はゆっくりと横に移動を始める。セイネリアも男から距離と角度を保つために横へ回る。二人で円を描きながら、けれども少しづつその円は小さくなっていく。じりじりと横へ歩きながら相手の隙を伺い、剣を伸ばせば届く距離まできて同時に一歩、強く踏み込んだ。 再び、剣と剣がぶつかる。 だが今度はそのまま力比べをする気はない。 相手もそう思ったのか、今度は力を抜いたのは向うの方が早かった。それも十分予想していたセイネリアはそのまま刀身で押しはしない。代わりに角度を変えて柄を押し込み、鍔を相手の刀身に当ててそのまま下に落とす。そうなれば剣の根元、十字鍔同士がぶつかってガチリと重い音を鳴らした。 男が声を上げる。 ぶつけたのは鍔同士だが、その時にこちらの柄頭が相手の右手、どこかの指を挟んだ筈だ。握りの感覚の為だろうが指を素のまま晒していたのが向うにとしては仇になった訳である。 流石に剣を落とす事はなくとも男の右手は一瞬、開いて離れる。柄の下方を持っている左手だけで剣を支えるのは厳しいから、男は剣を引いて距離を取ろうとする。 だが今度は大人しく引いてやる気はないし、向こうを休ませてやる気もない。 引く事に気が行っている相手に上半身から前に出て、剣を押し込むと見せかけて足を蹴った。そうすれば男は簡単に転ぶ。立派な戦士の体躯が地面に転がり、周囲の蛮族からは悲鳴が上がった。 だがトドメはまだ、こちらは時間が欲しい。セイネリアはそこで一旦離れると、男を挑発するように一度手招きし、顎を上げて見せた。 --------------------------------------------- |