黒 の 主 〜冒険者の章・四〜





  【12】



 太陽が沈みかけ、まだ暗くなり切っていない空にうっすらと月が姿を現す。
 今日の空模様は曇りで、審判の神エンリュケの月は時折雲の中に隠れながらもその姿を現しては人々に夜が来た事を告げてくれていた。
 夕刻の空の下、庭の中央奥にあるまるで小さな塔のようにも見える大きなランプ台が周囲を昼のように明るく照らす。このクリュースで主に照明として使われる火は魔法の粉を燃やした熱のない火で、室内などでは更にその火が燃えているランプをランプ台と呼ばれる明りの増幅装置に置いてその明るさを調整する。その為ランプ台といえば大広間に置かれる大きなものでも大柄な人間程度の大きさがいいところなのだが、ワネル家のランプ台は特別で、庭に設置されたそれは二階建て程度の高さの小さな塔と言った方が分かりやすい。
 元は貴族の中でも特別扱いである旧貴族の一つであったワネル家が、一番栄華を誇り力があった時代の名残でもあるそれは台自体に美しい細工や彫像が埋め込まれ、当然ながらワネル家の象徴であり家宝であった。だからこそワネル家主催のパーティといえば外で行われるのが通例となっていた。

 高い位置で燃え盛る魔法の火によって夜とは思えない明るい世界で、キラキラとあちこちに光を纏った華やかな服装の人々が集い笑い合う。それがなんだか見た事がない別世界の風景を見ているようで、カリンは少し疲れたようにため息をついた。

『その恰好はやはりきついか?』

 こそっと小声で聞いてきたのは彼女の主である男で、だが今だけはそれが逆転して自分が貴族令嬢で彼がその護衛役という事になっていた。

『いえ、恰好は慣れましたが、その……この空気がちょっと慣れなくて』
『まぁ、上辺だけ飾り立てた豚連中の馬鹿騒ぎだとでも思っておけ』

 その言い方はあまりに酷くて、けれども彼らしすぎてカリンは口に手をあてて笑う。

 ワネル家のパーティはカリンがグローディ卿の首都の屋敷に行った二日後の事で、それまでカリンはドレス姿で問題なく動けるようにグローディ卿の屋敷に泊まってその為の訓練をする事になった。勿論セイネリアも共にいたから屋敷に滞在する事自体に不安はなかったものの、慣れないドレスを一日中着て、ついでに姿勢や作法の勉強をさせられるに至って、ここにくるまで正直カリンはかなり疲れていた。
 それでも、セイネリアから『今後またそういう仕事を頼むかもしれないからこの機会に貴族に化けられるようにしておけ』と言われれば泣き言を言う気にはならなかった。彼が自分に期待してくれているのだと思えばそれに応えたかった。どんなに辛くても彼に失望されるよりマシだと考えれば、慣れない事だらけの状況も嫌だとは思わなかった。

『後少しだけ耐えてろ、もうすぐ宵の鐘が鳴る』

 それには、はい、と小声で返してカリンはまた軽く息をついた。
 いくら今の役だからといって彼を護衛扱いなど出来る訳がない。それでも不自然にならないように、基本的には彼とはっきりとした声での会話はしない事にしていた。話す時は耳打ちという事にしておけば、他人に会話は聞かれないし『引っ込み思案の娘』という風に見えるだろうとセイネリアにも言われていた。正直カリンとしてもそのおかげで助かっている面はあるが、本来ならこういう役ももう少し堂々とこなせるようにならなくてはとちょっと落ち込むところであった。

「確かエーレン嬢でしたね、どうかされましたか?」

 そこで唐突に声を掛けられてカリンは急いで顔を上げる。貴族の青年がにこやかな笑顔で立っているのを見て、出来るだけ愛想よく見えるように笑みを浮かべた。

「いえ……その、やはりこんなに賑やかな席は初めてなので。緊張で少し疲れてしまっただけです」




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