黒 の 主 〜冒険者の章・四〜





  【11】



 主から仕事に呼ばれる事はカリンにとって嬉しい事である。
 命令や頼み事を言いつけられる度、あの男に必要とされているとそう思えて、ボーセリングの犬だった時とはあまりにも違う自分の気持ちに驚くくらいだった。だから主に仕事に呼ばれればそれだけで心が躍って、その日が待ち遠しく妙に浮かれてしまう。

 別れ際、二、三日中に迎えにくる、と言ったセイネリアが実際カリンを迎えにきたのはそれから三日後の事だった。
 しかも、ワラントの娼館から直接向かったのはどうみても貴族の屋敷で、堂々と正面門から入って行くセイネリアにカリンは内心相当に警戒しながらその後ろをついていった。ただ、門番に彼が名乗れば即扉は開かれて、出迎えた人物の姿を見てカリンはその事情を大体察した。

「……我が主がお待ちです」

 声からすれば歓迎しているようには聞こえないが、それでも生真面目に頭を下げる騎士はカリンも知っている男だった。

「不本意という顔だな」

 セイネリアが言えば、言われた騎士は顔に無表情を張り付かせたまま答えた。

「別に、主が歓迎しているのに私が文句を言えるはずがありません。それに貴方が我が主に不利益をもたらしに来た筈はありませんので」

 セイネリアの師でもあるナスロウ卿を信奉していた騎士、ザラッツ。ならばこの屋敷はおそらく彼の主であるグローディ卿の首都の館なのだろうと予想が出来る。彼がシェリザ卿に取られて悔しがっていた自慢の屋敷というだけあって、確かに彼の領地の屋敷よりも綺麗で作りが洒落ていると思う。
 カリンが気づいたのを分かったのか、セイネリアが振り返って言ってくる。

「グローディ卿も例のパーティに出席する為、首都に来ていたという訳だ」

 けれどそれにカリンが頷けば、主は少し意地の悪い笑みを浮かべて言葉を付け足した。

「お前は別室で準備してもらう事になってる、いいか、分かっていると思うが向こうの女達に怪我はさせるなよ、大人しく言う通りにしておけ」

――え?

 向うの女達、の意味が分からず目を見開いたカリンは、次にセイネリアの指さした方向を見て固まった。この屋敷の使用人らしい女性達がカリンに向けてにこやかに微笑んで頭を下げていた。

「お嬢様はこちらへどうぞ」

 説明を求めて主を見れば、彼は背を向けてザラッツと一緒に歩きながらカリンに手だけを振っていた。







 それからの数刻は、ボーセリングの犬として育てられたカリンにとっても今までで一、二位を争うくらいの恐ろしい時間だった。きゃっきゃと騒ぐ女達には娼館で大分慣れたとはいっても、好き勝手に服を脱がされ着させられ、体をべたべた触られた上に手足を引っ張られてあちこち締め上げられ、あげくに髪を引っ張られて弄られて……それを全て無抵抗で受け入れなくてはならないなど、カリンにとっては拷問以外の何ものでもない。
 緊張と我慢の連続を乗り越えてやっと終わった時には気力は尽き掛けていて、きゃわきゃわ騒ぐ侍女達に連れられて部屋を出た時には殆ど放心していた。
 けれど、ボーセリング卿とセイネリアがいる部屋に通されて二人の視線を受け、セイネリアが自分を見て微笑んだ事でカリンは放心から気を取り直した。

「おぉ、これは美しい」

 グローディ卿のその声に思わず姿勢を正してしまって、それから主に聞いてみる。

「あ、あの……」

 どうでしょうか、と聞こうとしたら声が止まって、カリンは思わず下を向く。
 そうすればセイネリアが立ち上がって、カリンの前にやってくる。

「いい出来だ。お前は元がいいからな、そこらの貴族女じゃ太刀打ち出来ないだろ」

 顔を上げれば、彼女の主は満足そうに笑っていた。

「……似合い、ますか?」

 今度は思い切って恐る恐る聞いてみる。だが主である男は顔を近づけてじっと見つめてから僅かに苦笑して顔を離した。

「あぁ似合う、だが……似合い過ぎに、いい出来過ぎだな。これだと目立ちすぎる、惜しいが当日はもう少し化粧を濃くして地味顔にしてもらわないとならないだろうな」

 その言葉でカリンは今の状況をほぼ正しく理解した。つまり、自分にこんな恰好をさせるのは例のパーティーに出席させる為で、目的がそうであるから目立ちすぎる訳にはいかない、という訳だろう。
 役目が分かってカリンは安堵と共に笑った。一抹の寂しさのようなものはあえて無視して、笑って主に答える。

「そうですね。それに出来ればもう少し動きやすい恰好がいいです、私」

 そうすればセイネリアも口元だけで笑って、カリンの頭にいつもよりそっと手を置いた。

「そういう恰好の時は動く事を考えなくてもいい。今回は大人しく傅かれておけ」

 カリンはまた驚いて主を見上げた。
 黒い男はカリンの手をとって椅子に座らせると自分も座って足を組んだ。

「さて、なら当日の打ち合わせといこう」

 その一言で、グローディ卿が身を乗り出し、カリンは表情を引き締めた。




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