黒 の 主 〜冒険者の章〜





  【40】



 空は快晴、気持ちのいい風が僅かに吹くよい気候の中、馬上に乗って主の背にしがみついているカリンは空を眺めて昨日の事を考えていた。

 朝の勝負の所為か、あの騎士は夜になって宴に現れても終始沈んだ表情をしていて口数も少なく、主であるグローディ卿に体調が悪いのかと心配される程だった。そうしてもう一人の宴の主役であるセイネリアといえば騒ぐなんて姿はある筈もなく、基本的に必要のない発言はしない人物である。おかげで上機嫌のグローディ卿だけが妙に浮いてしまって、さすがにそれにはセイネリアもまずいと思ったのかカリンに向かって『悪いが少し相手をしてやってくれ』と言ってきたくらいである。
 ……それで勿論、カリンはいろいろと苦労した訳だが。
 ただあの騎士から聞いた通りグローディ卿は『貴族の割りには善良な人物』だったからどうにか誤魔化したり断ったりするのが難しいような事態にはならなくて済んだ。……おそらく、それも見越して『相手をしてやれ』と主も言ってきたのだろうとは思うが。なにせこの男はまだカリンにリスクがあるような仕事を頼むつもりはない、と言っていたのだから。

 ただ改めて、この男の命令は難しいとカリンは思った。
 命令ならば何でもしなくてはならなかったボーセリング卿のもとと違って、この男がカリンにしてくる命令はある程度カリン自身が考えなくてはならないことばかりだ。だからまだ、どうしても自分の判断に自信が持てないからいつでも困るし迷ってしまう。それでも考えて自分で回避策が出せるなら嫌な事はしなくてもいいのだと言われたのは嬉しかった。だから仕事をうまくこなせるようになるため、嫌な事をしなくて済む為、たくさん学ばなくてはならない、とカリンは思う。

「そういえば……お聞きしてもいいでしょうか?」

 恐る恐る言ってみれば、ずっと黙っていた彼女の主は即返事をくれた。

「いいぞ、なんだ?」

 ボーセリング卿のもとでは、質問は許されていたが疑問は許されなかった。命令の意味や理由も考えてはいけなくて、主の行動について興味を持つなんてもってのほかだった。
 けれどこの主は、疑問があれば聞けという。

「昨日の朝……何故、あの騎士と勝負を?」
「あぁ、一度ちゃんと奴の腕を見てみたいと思ったのと、面倒な男だったからな、一度はっきり負かしておいたほうがいいと思っただけだ。あの手の真面目人間は、文句のつけようがないくらい堂々と負かせばこちらの評価を勝手上げてくれる。少なくとも俺の腕は信用できると主に言ってくれるだろう。それにあれだけ悔しがらせれば俺に勝つために鍛え直そうとするだろうしな……そうすれば暫くこちらに手を出してくることもない」
「暫く……ですか?」
「あぁ、少なくとも俺より強くなったと思えるくらいまで、奴は俺に会おうともどうこうしてこようとも思わんだろうよ。あぁ……俺が鎧を手に入れたら勝負に来るかも知れんが、まぁそれだけですぐ来るほど自信家じゃないとは思うがな」

 カリンには主の意図が分からなかった。普通に考えれば、危険な芽は早めに始末しておく、というのが定石ではないだろうか。

「あの……強くなってからやってきた方が厄介なのではありませんか?」

 だからそう聞いたのだが、その答えは更にカリンを混乱させた。

「その方が面白いだろ?」

 それが冗談でもなんでもないというのは、本気で楽しそうな彼の口調から分かる。

「……危険ではありませんか?」

 そう言ってしまったのはカリンの本心で、少し声が震えてしまったのは、まるで危険を喜ぶような主の言葉が不安だったからだ。
 そうすれば今度は即答ではなく、セイネリアは少し間を置いてから答えた。

「それで死ぬようなら、俺はそれまでの人間だったというだけだ」

 そう言った黒い男の声はあまりに感情がなくて。だからカリンはそれ以上聞くことができなかった。けれど、どこまでも強くて自信に溢れる男の根底にある不安定な部分が見えてしまった気がして、カリンはもっと強くならなくてはならない事を更に強く自分に言い聞かせた。


END. >>>>>NEXT
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