黒 の 主 〜冒険者の章〜 【3】 流石に声が不機嫌になるのは仕方かったが、まぁこの男の前で自分が上機嫌だったことなどないから然程気にはしないだろう。あぁ面倒だ、と思いつつもセイネリアは落胆していた気を取り直して表情を作る。この男の持って来た情報自体はどうでも良くても、この男の行動にはこちらにとって意味があった。 「ただ……お前の方は、俺にそれをわざわざ伝えにきたという意味を分っているのか?」 子供のような背の男は、長身のセイネリアを目一杯見あげるとそこで不安な表情を一変させ、見た事もない程それはそれは嬉しそうに笑みを浮かべた。 「はいっ、それは当然でございます」 「つまりお前、シェリザ卿を裏切るつもりか?」 「そうでございますね……それでもかまわないと思いました」 「お前はあのクソ親父に恩があったんじゃなかったのか?」 シェリザ卿からセイネリアはそう聞いていた。だがそれを聞いた途端、男の顔から笑みは失せ、代わりに憎しみが広がっていく。 「恩? 恩ですか? ……そうですねぇ、あるといえばあったかもしれません。えぇ、確かにあったのでしょうが、その分はもう十分返せたと思うのですよ」 「ふん、勝手に返せた事にして裏切るのか?」 言えば男の表情は益々濁る。目が憎しみを浮かべて昏く輝き、皮肉げに唇だけを歪めて気味が悪い笑みのような顔で男は言い捨てる。 「では旦那は、自分を見下して汚物のように扱う主に仕えたいと思いますか?」 その言葉と男の表情だけで、セイネリアには理解出来た。 あの尊大なだけで中身のない馬鹿貴族は、ただ利用するだけで部下としてまともにこの男を扱ってなどいなかったのだろう。恩きせがましく命令だけして、待遇も扱いも最低だったというところか。どちらかと言えばシェリザ卿がこの男に手を差し伸べた恩人、という話の方が違和感があったくらいだからそれはあっさり納得できるとセイネリアは思った。 「……成程、まぁ確かにそれは道理だ。だが裏切ってまで俺に情報を伝えるとなると俺に何を望む?」 途端、男は地面に跪き、その低い体を更に低くしてセイネリアに頭を下げた。 「私を貴方の僕にしてください」 正直、厄介だ、と思ったセイネリアは僅かに片目を細めて軽くため息をついて見せた。 「残念だが、俺は何の力もないただの一冒険者だ、部下を養える立場じゃない」 「けれど旦那はあの娘を僕としたではありませんか」 やはりそれも理由か――まぁ僕と言われた時点でカリンの件を知っているのだろうとはセイネリアも察してはいた。 「成り行きもあったからな、あの女は俺のもとにいた方がうまく使ってやれると思ったからだ」 「私は役に立ちます。この体を生かして、他の者に出来ない事が出来ます」 更に頭を地面に擦り付けて男は必死に言ってくる。この男が役に立つのは分かっている、こちらについてシェリザ卿の情報を流してくれるというなら今のセイネリアにとっては都合がいい。ただ……何故そうまでして好んで自分の部下になりたいと言ってくるのか、その意図がセイネリアにはよく分らなかった。都合が良くても行動理由が分らない者を使う気にはなれない、言い方を変えれば行動を把握しきれなくても使いたいと思う程欲しい駒という訳でもない。だからまだこの男に了承を返す事は出来なかった。 「……シェリザ卿が気に食わないのはいいとして、なら何故俺の部下になぞなりたがる? 今の俺についても食わしてやれもしなければ居場所を保証してやれる訳でもない。そんな主についてお前になんの得がある?」 思えばこの男はシェリザ卿の元にいた時から、やたらとセイネリアに対して好意的に接してきていた。腰が低い態度はその姿の生い立ち故のクセだろうが、それにしてもいつも何かを期待するような目を向けてきて、やけに話したがっていた覚えがある。 地面に頭をすりつけていた男は、そこでゆっくりと顔を上げる。その顔はまるで祈りを捧げる者のように、セイネリアの顔を目を細めて見つめていた。 --------------------------------------------- |