黒 の 主 〜冒険者の章〜





  【22】



 行きの道中は順調だった。グローディ卿のもとを出てから4日でクバンの街に付き、途中危険動物や、危惧していた盗賊との遭遇もなくあっさりと着いて正直セイネリアとしては拍子抜けしたくらいだ。
 文書を渡すのはザラッツの役目であるから、ザウラ卿への謁見の間、セイネリアはカリンと別室で待っていることになった。ただそれで通されたのはきちんとした客室で、菓子やら茶やらがすぐ用意されたところからしてどうやらまともに客扱いしてくれるらしいとセイネリアは意外に思う。向こうからすればこちらはただのグローディ卿の使者の護衛である。それでもこの扱いなら、グローディ卿とザウラ卿はもとから仲が良く、既にセイネリアについても何かの連絡が行っている……と考えたが、そうだとしてもそれでただの平民冒険者をもてなせるとなればザウラ卿はかなり貴族としてはデキた人間という事になる。
 そんな風に考えていたセイネリアだったが、それとは別のなんとも馬鹿馬鹿しい要因だったという事がその後すぐに判明した。

「少々、よろしいでしょうか」

 ノックの後姿を現した若い貴族青年の姿に、セイネリアは、あぁ、と鷹揚に返事をした。だが本人はそれを気にした風もなく、苦笑いと共に部屋に入ってくる。その目が入ってきた時からずっと自分ではなくカリンに向けられているのを見て、なるほど、とセイネリアはいろいろ察した。

「長旅でお疲れでしょう、この部屋の居心地はどうです? ご不便はないでしょうか?」

 言ってきた時の視線が完全にカリンに向かっていたから、セイネリアは困惑してこちらを見てきたカリンに軽く頷いてやる。それから唇だけで答える、適度に相手してやれ、と。唇を読める彼女はそれですぐ男に向き直った。

「はい、とてもくつろがせて頂いております」
「それは良かった、何か欲しいものがあれば言ってください。すぐに用意させますので」
「いいえ十分です、ありがとうございます」
「なに……よいのですよ。やはりこちらの部屋に通して良かった、まったく父上は分かっていない。冒険者など従者用の待機部屋で十分とか言いましてね、私がそれでは失礼ではないかと言ってこちらの部屋に通すよう言ったのです」

 聞いた途端セイネリアは笑いを堪えるのに苦労した。カリンに鼻の下を伸ばし、このいい部屋に通したのは自分のおかげなのだと主張する……典型的な貴族の女好き馬鹿息子だ。せいぜいいい気にさせておけばいいと、セイネリアは観察だけで黙っている事にした。

「ありがとうございます、おかげで旅の疲れもかなり癒されました」

 流石にボーセリングの犬としての教育を受けているだけあってこの手の男のあしらい方は分かっているのか、カリンは笑顔で相手が満足するだろう言葉を選んでいる。当然、馬鹿息子の方は更に得意げに鼻の穴を膨らませて満面の笑みを浮かべていた。

「いえいえ、貴女のような美しいレディを狭い従者部屋などに押し込めたなど知られたら恥というものです」
「私はただの冒険者です、このような部屋に通して頂くなど身に余る待遇です」
「何を言ってらっしゃるのです、その優雅な所作、それは良い教育を受けている者の証ではないですか」
「そんな事はありません、私はただの冒険者です」
「そうですか……分かりました、ではそういう事にしておきましょう。ですが私は分かっております、どうぞ私の前では素の貴女を見せてくださいませ」

 セイネリアといえどもそれには完全に笑いを抑えるのが難しくなって、思わず口元が緩んで下を向いて誤魔化すはめになる。
 ボーセリングの犬として様々なところに潜り込む必要があるからこそ、カリンは最低限の貴族の礼儀作法というのも教育されている。それをおそらく都合よく解釈してこの馬鹿息子はカリンの事を『事情があって今は冒険者をしている元どこかの貴族の令嬢』とでも思いこんだのだろう。
 全く、頭に花が咲いてるような能無し貴族というのは、それでも学はある所為か妙な文学の影響を受けた妄想をしだすから予想外の寝言を吐いてくれる。ハタから見たらまさしく道化以外の何者でもなくて、これを笑うなというのは難しすぎた。

「カリン『様』、俺は少し席を外します」

 だからセイネリアはそう言って椅子から立ち上がり部屋を出た。これであの馬鹿息子の妄想もさらに捗る事だろう。カリンは一瞬困惑した顔をしたものの優雅に了承の返事を返してみせたからこちらの意図は察した筈だ。カリン的には少々苦痛だろうが、あの馬鹿息子の妄想に付き合っておくのも悪くない。後で何かに利用できる可能性もある。
 そうして廊下に出て声を抑えて笑っていたセイネリアだったが、人の気配が近づいてくればすぐに姿勢を正してそちらに注意を向けた。予想通りやってきたザウラ卿とザラッツの姿を見て、セイネリアは一応は頭を下げてみせた。

「お前がセイネリアか」

 それには返事をせずただ頭を下げたままにして、向こうが軽く息をついたのを聞いてから顔を上げる。

「相当に腕には自信があるようだな。……首都ではかなり名前を知られているそうではないか」
「そうでもない、冒険者としては仕事を始めたばかりでまだなんの実績もない」
「はっ、言う割りには謙遜している顔ではないな」

 息子程馬鹿ではないのは確実だがどの程度の馬鹿か――完全にこちらを見下しているその態度を見てセイネリアは考える。

「何故外にいた、レシカがわざわざここへ通したのだろう?」

 レシカというのはあの馬鹿息子の名前だろうか。セイネリアはそれに僅かに笑みを浮かべて肩をすくめてみせた。

「それは……中へ入ってみれば分かる」

 そうすれば忌々し気な顔をして、大方予想出来たのかザウラ卿は乱暴に部屋のドアを開けた。

「レシカ、貴様は何故こんなところで油を売っているのだ」
「父上?!」

 そこから始まる息子への説教からして、このボンクラ息子は剣の訓練をサボってここへいたらしいことが分かる。一応息子に剣を教えようとするだけ他の甘やかすだけしかしない親馬鹿よりはマシだろうが、これが次男以降なら独り立ち後に騎士団就職コースへ行かせる為だろうなとも思う。まぁ、それはそれでザウラ卿は息子の将来を冷静に考えられる程度の頭はあるとも取れるが、こんなのが騎士団で役職持ちになるのを想像すればその下に付くだろう連中に同情を禁じ得ない。実際見てみなくても騎士団の腐りぶりが分かると言うものだ。

「……まったく……」

 僅かに聞こえた呟きに、セイネリアはそれを発した人物を見た。ザウラ卿の後ろで忌々し気に唇を噛む男を見て、セイネリアは馬鹿親子のやりとりを向ける嘲笑以外の笑みを浮かべる。
 セイネリアが見ていることにも気づかず、いつでも柔和な表情だった騎士ザラッツの顔は、その時完全に部屋の中にいる馬鹿息子に憎しみの視線を向けていた。



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